サイトマップ
函館日ロ交流史研究会
お知らせ
函館日ロ交流史研究会
images
刊行物
- 函館-ウラジオストク交流の諸相 -ウラジオストク建都150周年記念事業報告書-
- 「函館で生まれ育ったロシア人 オリガさんを迎えて」 函館日ロ交流史研究会 2007 特別報告会報告書
- 清水恵『函館・ロシア その交流の軌跡』
- ウラジオストク訪問記 2005.7.1~7.5 ウラジオストク建都145周年記念公式訪問団 函館日ロ交流史研究会・文化交流団報告書
- 函館日ロ交流史研究会創立10周年記念誌「函館とロシアの交流」
- 函館日ロ交流史研究会創立10周年記念 '03 函館・ロシア極東交流史シンポジウム「大正・昭和期に函館に来たロシア人」
- 極東国立総合大学開学100周年・函館校開港5周年記念 函館・日ロ交流フェスティバル報告書
- 市立函館図書館所蔵 ロシア語資料目録Ⅰ ЛИСТ ДОКУМЕНТОВ НА РУССКОМЯЗЫКЕ,СОХРАНЯЕМЫХ В ГОРОДСКОИБИБЛИОТЕКЕ ХАКОДАТЗ
- 函館・ロシア極東交流史シンポジウム報告書 1995.SYMPOSIUM REPORT 函館・ロシアの交流を探る―サハリン・千島をめぐって― ОЧЕТ СИМПОЗИУМА 1995 ПОИСК ОТНОШЕНИЙ МЕЖДУ ХАКОДАТЭ И РОССИИ ― О ОСТРОВЕ САХАЛИНЕ И КУРИЛЬСКИХ ОСТРОВАХ―
- '95函館・ロシア極東交流史シンポジウム「函館・ロシアの交流を探る」―サハリン・千島をめぐって―
- '94函館・ロシア極東交流史シンポジウム「函館・ロシアの交流を探る」―日露関係史・その過去と現在― 報告書
- 函館市・ウラジオストク市姉妹都市提携1周年記念 '93函館・ロシア極東交流史シンポジウム「函館・ロシアの交流を探る」―その歴史・文化・経済― 報告書
- 函館市・ウラジオストク市姉妹都市提携1周年記念 '93 函館・ロシア極東交流史シンポジウム「函館・ロシアの交流を探る」―その歴史・文化・経済―
- ХОККАЙДО ИСТОРИЯ И СОВРЕМЕННОСТЬ〔北海道 歴史と現在〕 ХОККАЙДО
web展覧会
会報
- 北大スラブ・ユーラシア研究センターに史料を寄贈して ~ウラジオストク居留民に思いを馳せながら~
- 長谷川海太郎にまつわる些細なエピソード
- 1925年日本軍撤退後サハリンにおける横綱大鵬のウクライナ出身の父親、M.ボリシコ
- 旧デンビー商会番屋の見学
- 戦前の雑誌『月刊ロシヤ』編集長・茂森唯士(1895~1973)
- デンビー(Denbigh)商会と中嶋家
- 多賀丸漂流民について記録されている日露関連資料について
- 歴風会「歴風文化賞」の受賞
- 函館市地域交流まちづくりセンターの市民活動紹介への参加
- 山口茂一『日本詩歌の支配的傾向としての印象主義』の成立刊行に力を尽くした人々 ―― (1) ニコライ・ペトローヴィチ・エフスチフェーエフ
- 日露戦争前後のウラジオストク ――〈ドム・スミス〉のエレノアが見た人と風景
- 小出遣露使節団のロシア派遣前後の動向
- 悲劇発生の地 イワノフカ村訪問記
- 函館に眠るP.P.バトーリン
- 鈴木旭先生の思い出
- ブロニスワフ・ピウスツキと函館の漁業家・稲川猛治
- 「棒二森屋デパート」と在函亡命ロシア人
- 外国人墓地清掃
- 桑嶋洋一氏との思い出
- 桑嶋洋一さんの思い出と業績
- 函館ロシア人墓地――墓碑のないロシア人をめぐって
- 在札幌ロシア連邦総領事館主催の展示会を見学して
- 在札幌ロシア連邦総領事館開設50周年記念写真展の函館開催
- 母国ロシアへの郷愁(3) 1925年北サハリンから脱出したペトロフスキー家の軌跡――少年時代の思い出と第2次世界大戦で日本軍の捕虜になって――
- シベリアのヴォストチヌイ新宇宙ロケット発射場の運用開始とシベリア出兵、シベリア抑留の記憶
- 母国ロシアへの郷愁(2) 1925年北サハリンから脱出したペトロフスキー家の軌跡――北サハリン・アレクサンドロフスクでの生活――
- 函館とニコラエフスク――文久元年「亀田丸」の出貿易から見えてくること
- 【史料紹介】前号の補足
- 1925年2月、北サハリン亜港から脱出したペトロフスキー一家の足跡を追って
- 「樺太の旅」記録フィルム紹介
- 札幌総領事から寄贈された二葉の写真
- 日本軍の北樺太占領末期に函館に避難してきたロシア人(1925年4月~5月)*1
- 平成26年度函館日ロ交流史研究会の活動について ――ゴシケヴィッチ生誕200年記念事業、函館開催をふりかえる――
- 初代駐日ロシア領事ゴシケーヴィチゆかりの地ベラルーシを訪問して
- 初代駐日ロシア領事ゴシケーヴィチと函館
- 柴田剛中の箱館での交渉
- 魯西亜から来た日本人 ―善六と函館
- 函館・松前ツアー体験記
- 松前で馬場佐十郎を想う
- サハリン/樺太(註1):帝国にはさまれた植民地
- シュヴェツ家との出会い
- 小島倉太郎の遺品にみるその足跡 ―クリルアイヌの強制移住と北海道物産共進会―
- 過ぎ去りし時代に触れて
- ロシア国立極東歴史文書館と国立沿海地方文書館をウラジオストク市に訪ねて
- 大鵬、マルキィアン・ボリシコ、ニーナ・サゾーノヴァ そして函館ゆかりのシュヴェツ家について
- 色丹島訪問記 ――北方領土問題を考える――
- 「イコン画と山下りん」を学ぶ研修旅行の報告
- 『十五歳の露国少年の書いたカムチャツカ旅行記』を刊行して
- ガブリール・クラマレンコ:アストラハンからサハリンまで
- 小島倉太郎の遺品にみるその足跡 -クレイセロック号探索から聖スタニスラフ第3等勲章受勲まで-
- Прикосновение к прошлому.
- 函館の「旧ロシア領事館」案内
- 高田嘉七氏の死を悼んで
- 青森とロシアの交流史
- ワクワク函館への旅
- サハリン島で迎えた日露戦争とビリチの戦後 -ロシア極東国立歴史文書館史料より
- 平成21年度市立函館博物館函館開港150周年記念特別企画展「アイヌの美-カムイと創造する世界-ロシア民族学博物館・オムスク造形美術館所蔵資料」
- ドロシェーヴィチ『サハリン(監獄)』に描かれたKh.P.ビリチ
- 「浦潮日報」のデジタル化について
- 函館に縁の深いズヴェーレフ家の人たち ―キューバからオリガさんを迎えるに当たって―
- 現代ロシアの結婚式(体験談)
- クリルアイヌ研究と市立函館博物館
- 函館のソ連領事館と日本人職員
- ハバナで出会ったオリガ・ズヴェーレワさん
- 明治初年の函館に於ける露語和訳露西亜語教科書
- 「日露修好150周年回航事業」に参加して
- むかし、「露探」という言葉があった ―函館の場合
- 博物館交流と日ロ交流展覧会 ―国立アルセニエフ博物館にて―
- 函館のロシアホテル
- 平成18年度 函館市の対ロシア国際交流事業紹介
- 訂正します
- コーカサス情勢 ―民族紛争とカスピ海地域のエネルギー資源を中心に―
- 補遺―1877年、瀬棚沖におけるロシア軍艦「アレウト号」の遭難をめぐって
- 失われた墓碑銘 ―函館のロシア人墓地
- 函館とウラジオストクとの新たな交流 ―文化・学術交流、はじめの一歩―
- アルセニエフ博物館について
- 最後の「低い緑の家」 ―サファイロフの晩年―
- 「函館とロシアの交流」を読んで
- Морской сборник(Morskoi sbornik『海事論集』)にみる函館とロシア 1856-1870
- 函館日ロ交流史研究会第3回研究会に参加して
- ガーリャさんの東京・横浜滞在を共にして
- 石川政治「ソ連捕虜通信」から
- サハリン島の漁業をめぐるロシア政府(プリアムール総督府)の対応
- ゴシケーヴィチ記念学会取材より
- 満州国建国宣言とユーラシア主義 ―ルスナクさんの報告「ハルビンの白系ロシア人」に寄せて―
- 厨川勇氏の生涯と業績 ―ご逝去を悼んで―
- 新発見の「重建永寧寺碑」拓本をめぐって
- 函館とロシア料理
- 函館という名の夢
- 地に落ち、豊かな実を結んだ人々 ―『異郷に生きるⅡ 来日ロシア人の足跡』を読んで―
- F.P.ビリチについて
- 元山のロシア人避難民(1922年秋) 函館港における「マグニット号」とその周辺をめぐって
- ウラジオストク研修の旅 2003年1月5~9日
- 国立サハリン州文書館所蔵資料をめぐって
- 幕末の函館に「ロシアの影」を見たアメリカ人
- 北の大航海時代 ―ラクスマン来航を中心に
- アニワ湾のムラヴィヨフ哨所とサハリン問題の発端 ―ここにおいてロシアと日本は遂に隣人となった―
- 北海道函館商業学校ロシア語担当教員中、最近当時の状況が判明した3名について
- ハルピンの白系ロシア人
- 聖ニコライ祭に臨んで
- 話題の本の紹介
- ロシアとロシア人
- ガリーナ・アセーエヴァさんに再会して
- 高須治助訳『花心蝶思録』をめぐって
- 高須治助と函館図書館 ―安井亮平先生のお話から教えられたこと―
- A.T.マンドリク著「ロシア極東の漁業史1927年-1940年」の要約の試み(続)
- カムチャツカ訪問記 ―カムチャツカ国立技術大学を訪ねて―
- 『共同研究 ロシアと日本 第4集』を誤読してはいけない ―私にとってのロシアを導く糸として―
- A.T.マンドリク著「ロシア極東の漁業史1927年-1940年」の要約の試み
- 秋の伊豆高原に哈爾濱学院23期生の心を見る
- ニコライが来日の時に便乗した軍艦の名前は?
- 青森公立大学でのロシア語数育
- シベリアと本格的交流を! ―北海道の未来のために―
- 函館とウラジオストク:日露交流の歴史から
- 函館・日ロ交流フォーラムに参加して
- 「函館・日ロ交流フォーラム」を聞いて思ったこと
- 「ビザなし交流」に参加して
- 永野弥三雄氏「戦前のエトロフ漁業と現在のエトロフ島の印象」について
- 1875~1903年のサハリンにおける日ロの協力関係
- サハリン島住人と日本人漁業の関係
- 沿海地方における日本人墓地
- Z・モルグン報告「日本兵の墓地調査と鎭魂集の発行」を聞いて
- 函館・日ロ交流フェスティバルを終えて
- F.B.デルカーチ氏の講演「函館での一年間」を聞いて
- 故国に帰った白系ロシア人の運命 ―ガリーナ・アセーエヴァさんに出会って―
- 高須治助来函のなぞ
- 明治初期におけるロシア型馬橇の導入について
- 函館訪問の印象
- 東洋を研究する後輩へ送るいくつかのアドバイス
- コジェーヴニコワさんの函館訪問 ―雑誌「日本紹介」より―
- ウラジヴォストークの印象
- アレクサンドル・アレクセーエヴィチ・シガ
- はこだて・ロシアの架け橋
- 函館を訪れたウラジオストクの東洋学院生
- もう一つの「浦鹽斯徳紀行」
- 国際交流雑感
- 研究会の活動を顧みて
- 津軽海峡を封鎖した異国船
- [北海道新聞連載ゴシケーヴィチ領事報告書記事について]
- 函館こそがロシアセンターの設立に相応しい
- 今日の醜女は明日は美女か ―米原万里の著作を読んで―
- 渡り鳥の日ロ交流
- 恋の町函館 ―シンポジウム参加記の一節から―
- 幕末・維新期の日本史研究と極東状勢について
- ロシアとの経済交流を通じて
- 青森のロシア人 ―ロシア革命~第二次世界大戦~ペレストロイカ
- 私とロシア
- 函館・ロシア極東交流研究会と市民セミナーに参加して
- 「ロシアで実際に仕事ができる」と田中は最初の利権企業を設立した
- 亡命ロシア人作家バイコフと大連の小学校教師宗像英雄の交流の軌跡
- サハリン紀行と日ロミニ・シンポジュウム参加記
- 満州国立大学哈爾濱学院史抄 ―哈爾濱学院史(同学院同窓会刊)より―
- 北のシルクロード ―佐々木史郎著『北方から来た交易民』(NHKブックス)の紹介を兼ねて―
- 函館とロシア極東 ―原暉之氏の連載を読んで―
- リュシコフ大将亡命事件
- 市立函館図書館における貴重な発見
- 私とロシア ―一地方政治家の視座―
- ウラジオストクの都市と建物
- 発刊の言葉
- 日口交渉秘話より 追跡!『ディアナ号』の艦載砲
- 極東諸民族歴史・考古・民族学研究所の国際会議に参加して