函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

恋の町函館 ―シンポジウム参加記の一節から―

2012年4月22日 Posted in 会報

V.V.コジェブニコフ

11月6日
 今日、函館日ロ交流史研究会主催のシンポジウムに行く。初めて函館に行ったのは2年前だった。もう2年、私はこの懐かしい町を何回も思い出している。沢山の日本の都市を訪問したが函館はちょっと特別なのだ。私の部屋にある日本の景色は、函館の夜景の写真が一枚だけだ。
 明日、もう一回この「町」を散歩できるとは信じられない。また楽しいのは日本の友達との面会だ。鈴木先生、清水様、桜庭様、永野様、菅原様、長谷部様、極東国立大学の友達も函館にいる。
 我代表団は歴史研究所の3人だ。僕のほかラリナ氏とマンドリク氏。ウラジオから飛んで出て1.5 時間のあとタクシーで新潟駅まで行く。お祖母さんのダーチャまでは2時間かかるから、日本は著しく近い。もう2時間後、東京の銀座キャピタルホテルに泊まった。
 東京の夜は最高だ。マンドリク氏に銀座と皇居を案内。その後、てんぷら。マンドリク氏をホテルまで見送って、もうすこし散歩して鮪刺を食べた。

11月7日
 ロシアでは「船からパーティーへ」という諺がある。意味は旅行(仕事)の後すぐ楽しい雰囲気に入ることだ。朝早くタクシーでモノレール駅へ。モノレールで羽田空港、そして飛行機と乗り継いで函館まで。いそがしくホテルのチェックインをして結局、シンポジウムホールに入り込んだ。間に合った!
 シンポジウムの会場は五島軒だった。ここに知人が大勢いた。函館の知り合いの人々のほかに、札幌から来た皆川先生、原先生、村上先生、秋月先生、荒井さんとの面会が楽しかった。でも、これだけじゃない!大阪から藤本先生、宮本先生が来たのだ!サハリンからヴィソーコフ氏も参加する。立派な仲間たちだね。
 シンポジウムの担当者は面白いシンポジウムを準備した(二日間の会議の報告書が「会報」6号 1998.1.8に発表された)
 会議の後は懇親会だった。シンポジウムには学術の成果とともに、人間関係がとても重要なのだと思う。このような懇親会は人間関係を固めるために必要だ。パーティーが終わってから函館山に登った(タクシーで)。眺めも最高。
 上は風が強かったから暖まらなければならない。みんなで居酒屋に入って暖まった。不思議なのはウィスキーとお湯。僕は普通のウィスキーで暖まった。

11月8日
 国際ホテルは便利で、快適なのだ。美味しい朝飯。日本はどこでも料理がうまい。7時半から10時まで市内を歩け歩け。10時から市民交流セミナー。セミナー終了後、函館日ロ交流史研究会員とロシアの研究者の談話会。

11月9日
 7時半から10時まで市内を歩け歩け。高田屋嘉兵衛像の前でCさんと落ち会い、博物館本館と図書館を訪問。途中極東大のアナトーリイ・トリョフスビャツキ氏と函館八幡宮に入る。境内の蛙像を見て、有名な俳句を思い出した。

11月10日
 7時半から10時まで市内歩け歩け。ラリナ氏とマンドリク氏は自由行動だが、僕は忙しい。昼までにヴィソーコフ氏を見送ると、その後で、極東国立総合大学函館校の訪問などだ、すごいね。

11月11日
 7時半から10時まで市内歩け歩け。10時半に火山の恵山と温泉に出発。日本に何回も来たにもかかわらず温泉はまだ。恵山までの海岸道はすばらしかった。
 頂上には桜庭さんと二人で、噴煙のところまで登って、もう少し歩いて、展望台から下にある北海道を見た。頭に手拭のスカーフを被っている桜庭さんは、カリブの海賊に似て強そうなので、僕は何も恐れずに、安心していた。
 その後温泉だ。これは恵風ホテルだった。残念だがラリナ氏とマンドリク氏はお風呂に入らなかった。でも僕は、日本人の友達と一緒に入った!印象は言葉で説明せず。三つのバスをわたって、最後の露天風呂に残って楽しんだ。不思議なのは男性のお風呂に父と一緒に来た女の子だった。温泉の後のビールは最高だ。
 夜は送別会だった。別れはいつも悲しいのだ。この送別会は愉快なのだったが、悲しみもあった。函館のシンポジウムの家庭的な雰囲気は、まことに楽しい。皆様の顔を見て、いつもう一回、皆で集まれるかと思った。

11月12日
 7時から8時まで最後の市内歩け歩け。9に空港へ出発。途中で函館に戻りたかった。

 P.S 4か月後のいまも戻りたいです。私はよく函館を思い出しています。私が好きな日本に、恋の町函館があるのは素晴らしいです。

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「会報」No.7 1998.4.16 From Russia