函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

函館市内「ロシア関連散歩道」

2012年4月27日 Posted in 函館市内「ロシア関連散歩道」

シュウエツ邸

 現在はカール・レイモンの家として知られているが、もともとは1930年(昭和5)にロシア人毛皮商だったD.N.シュウエツが住居として建てた家である。当時の工費は5000円だった。シュウエツ家は1936年に離函し、その後レイモンがこの家を取得した。なおD.N.シュウエツは1934年に亡くなり、函館のロシア人墓地に埋葬された。墓地の中央部にある墓碑には故人のレリーフが掲げられている

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地図(元町)はこちら

ロシアホテル跡地

 当時「大町居留地」と呼ばれたこの地で1863年前後、日本で最初のロシア料理店がオープンした。ロシア人のP・A・アレクセーエフと妻が経営するこのホテルの食堂には、コックとして複数の日本人が雇われていた。また、ここではパンも焼かれたが、その技術を覚えた日本人従業員が後にパン屋を開業している事実もある。海岸町周辺に約3500坪の土地を借り、牛や豚を飼い食材を自ら調達していた。ホテルの主人は1871年に東京での布教を開始するニコライ神父のために上京し、その年、同地で亡くなった。残された妻ソフィヤは、日本人スタッフとともにその後もホテルを切り盛りし、1879年まで経営が続けられた

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地図(大町、現相馬倉庫付近)はこちら

ロシア人墓地[外国人墓地]

 幕末に箱館奉行から貸渡された墓地で、現在はハリストス正教会が管理している(約500坪)。1859年6月に死亡した軍艦「アスコリド号」の航海士の墓が最古。その後も軍艦の乗員や領事館関係者、ロシア革命後に亡命してきた人等が埋葬され、現在判明している墓碑は50基弱。1864年に死亡した初代領事ゴシケーヴィチ夫人の墓は長年不明となっていたが、故厨川勇神父が見つけ1993年に新たに墓碑を建立した

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地図(船見町23)はこちら

函館ハリストス正教会[函館復活聖堂]

 元来この地は初代ロシア領事館(1860年完成)敷地であり、本教会はその附属教会だった(日本最初の正教会)。1861年にニコライが修道司祭としてここに着任している。領事館は1865年に英領事館の火事で焼失し、その後この敷地及び建立物はロシア外務省アジア局から正教宣教団に寄贈された。当初からの教会は1907年(明治40)の大火で焼失し、現在の建物は1916年(大正5)に再建されたものである。山下りん製作のイコンがある

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地図(元町3-13)はこちら

ハリストス正教会墓地

 1875年(明治8)に開拓使から貸渡された墓地で、代々の正教信徒が眠る(約450坪)。ほとんどが日本人であるが、日本人と結婚したロシア人の墓もあり、日本正教会のペトル有原主教もこの墓地に葬られている

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地図(船見町23)はこちら

旧ロシア領事館

 この地は漁業家西出孫左衛門の所有であったが、1902年(明治35)にロシア政府が領事館用地として購入し、翌年領事館建設が着工された。日露戦争による中断があり、完成したのは1906年だが、翌年3月の大火で焼失し、現存している建物は1908年12月に再建されたものである。設計はドイツ人建築家R.ゼールによる。ロシア革命後はソ連領事館として、1944年(昭和19)10月まで使用された。敷地は1940年に日魯漁業(株)が買い取り、ソ連に貸与していた。第二次大戦後の1964年(昭和39)、函館市が日本国外務省から建物を購入し、増改築して青少年研修施設として利用した(1965~1996年)。敷地も市が、1981年に日魯漁業と対等交換で入手している

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地図(船見町17)はこちら

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