函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

「イコン画と山下りん」を学ぶ研修旅行の報告

2013年4月10日 Posted in 会報

大平利成

 平成25年2月9日、日本ユーラシア協会青森支部は冬の企画として、函館日帰り研修旅行を行いました。
 工藤朝彦副支部長の紹介で函館日ロ交流史研究会を知りその特別なお計らいで実現したもので、函館ハリストス正教会のイコン画拝観と画家山下りんの足跡を学ぶことが目的です。
 当日の参加者は会員7名で、このような研修を目的とした旅行はほとんど初めての人達ばかりです。
 午前8時青森駅発の特急に乗り津軽半島を北上、約2時間で函館駅に到着。
 目指す正教会は函館山に近い坂の上にありました。
 ロシア風ビザンチン様式といわれる聖堂の白い漆喰壁と青銅色の屋根がひときわ目を引きます。
 教会では函館日ロ交流史研究会世話人の岸甫一氏と中嶋肇氏が待ちうけ、案内もしていただきました。
 それによれば、この建物は万延元年(1860)にロシア領事館の付属聖堂として建立。
 その後、函館の大火で焼失したものの大正5年(1916)に現在の聖堂が再建され今では国指定の重要文化財になっているとのこと。  
 聖堂の内部正面に「救世主の復活」「最後の晩餐」、そして両脇に聖人たち。
 吹き抜けの壁面いっぱいに大小80点のイコン画が掲げられていて、山下りんが描いたものも多数あります。
 黒衣に身を包んだ神父のN.ドミィトリエフ氏がおみえになり、教会の歴史とイコン画、聖ニコライについてユーモアたっぷりのお話しをしていただきました。
 初代の聖堂ができた翌年には有名な聖ニコライが領事館付きの司祭として来日し手さぐりで伝道を開始したそうです。
 10年後、聖ニコライは東京の神田駿河台に転任し本格的な宣教活動を精力的に展開。
 そのなかで日本における伝道は日本人の手で行われるのが一番、イコン画の制作も日本人の手で、という結論に達し、そこでいよいよ山下りんの登場と相成るわけです。
 なるほどなるほど......私たちは神父さんのその達者な日本語と、ふくよかな語り口にすっかり魅了されてしまいました。
 さて昼食後は正教会に隣接する信徒会館に移り、いよいよ函館日ロ交流史研究会主催の研修会です。
 北海道立函館美術館の主任学芸員・大下智一先生が映像を駆使して「明治のイコン画家山下りんと北海道」と題して一時間ほど講演。
 山下りんは安政4年(1857)、今の茨城県笠間(かさま)市に生まれ、幼いころより絵を書くことが好きで16歳のときに単身で上京し豊原国周(とよはらくにちか)に弟子入りし浮世絵を修行。
 その後、洋画家をめざして明治10年(1877)開校の工部美術学校に女子1期生として入学、教官フォンタネージに油絵を師事。
 当時の作品を見ると、師には及ばないものの彼女のデッサン力もかなりのものだったことが分かります。
 明治13年(1880)美術学校在学中に入信したことにより、聖ニコライからすすめられて単身ロシアの首都ペテルブルクへ留学。イコン画の製作技術を習得するためでした。
 紆余曲折はあったものの帰国後はイコン画の制作に励み、その作品は全国の正教会に届けられます。
 山下りんの生涯については以前ユーラシア協会でもDVDを見る機会があり多少の予備知識を持っていましたが、大下先生のお話にもあった明治時代の開明期と反動期の波に翻弄される美術界と画家たち、そして山下りん。そのように事象を歴史的に捉えることによって彼女の遍歴がより理解できたように思います。
 また北海道のイコン画が歴史的にも美術的にも非常に価値の高いものであることも今回初めて知りました。
 道内のイコン画は函館をはじめ上磯、札幌、小樽、釧路、上武佐(中標津)に計70点も現存すること。これらは北海道が日本におけるロシア正教発祥の地であることや、ロシアとの地理的近さに由来すること。開拓民の精神的な支えとしても重要な役割を担ったこと。そして北海道に残っている日本人の油彩画としては相当に早い時期のもので、きわめて質の良いものであることなどです。
 また神父夫人、山崎ひとみさんの補足説明も素晴らしく、参加者から「まるで"NHK日曜美術館"のゲスト解説者のようだった。機会があれば山崎さんのお話も拝聴したい」という感想もいただきました。
 緊張した「勉強」から解放され、紅茶とお菓子をいただき記念写真を撮って研究会は無事終了。再び聖堂に戻りあらためてイコンをみつめました。
 イコン画は聖画となった瞬間、永遠に作者の手を離れもはや書き手は無となるという大下先生の話を思い出し、参加者一同あらためてイコンの精神性に思いを深くした次第です。
 観光コースではないこのような旅行は初めてでしたが函館日ロ交流史研究会の皆さんのおかげで大変充実したものとなりました。
 皆さまには心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

(日本ユーラシア協会青森支部支部長)

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「会報」No.34 2013.3.31 研究会報告