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満州国建国宣言とユーラシア主義 ―ルスナクさんの報告「ハルビンの白系ロシア人」に寄せて―

2012年4月24日 Posted in 会報

米重文樹

 2002年4月6日付の本会報No.20に掲載の「ハルビンの白系ロシア人」と題する報告を最近になって偶然読む機会を得た。その中に私の名前に言及した箇所があって、一読して納得のいかない点があったので、以下若干のコメントを記すことにする。問題の箇所は次の通りである。
 東京大学の米重文樹教授は、ユーラシア主義者の思想は、1932年の「満州国建国宣言」にも影響を与えていると考えている。また、米重教授は、五族協和の協力の上に創られた平等な国家という思想は、当時の多くの日本人の目に非常に魅力的なものに映ったに違いないと述べている。
 後半部分はさておき、問題は「東京大学の米重文樹教授は、ユーラシア主義者の思想は、1932年の満州国建国宣言にも影響を与えていると考えている」となっている点である。
 ルスナクさんのこの判断が1997年に私の書いた論文「極東におけるユーラシア主義」(露文)に依拠としたものであることはすぐに分かったが、私自身はその論文の中で「ユーラシア主義者の思想が1932年の満州国建国宣言に影響を与えた」とは一言も述べていないし、それを匂わすようなことも一切書いていない。おそらくルスナクさんは、私が拙論の中で「満州国建国宣言」の骨子のひとつをなす五族協和に触れた直前の節で、「満州国建国宣言」と同じ年の1932年パリで出された「ユーラシア主義宣言」の日本語訳の存在を紹介していることから、「米重教授は影響関係があったと見ている」と判断されたのであろう。ちなみに、この日本語訳(正確には翻案)の筆者嶋野三郎は当時満鉄の調査部に所属、1931年から1933年にかけてパリの満鉄欧州事務所にあって、ソ連事情調査のため欧州各地にでかけるという多忙な日々を送っていた。「ユーラシア主義宣言」はその中で嶋野が出会った本のなかの一冊であるが、その日本語訳が「日満共福主義」と題して雑誌『大亜細亜』に二回に分けて掲載されたのは、彼が帰国した年の1933年のことである。いずれにせよ、満州国建国宣言にユーラシア主義思想が影響を与えたという具体的な事実関係および介在者の存在については今のところ確証はない。ただ、拙論でも記したが、「ユーラシア主義の著作を翻訳するための相当な予算が満鉄の特別な課で組まれた」と いうことを当時ハルビンにいたロシア人ジャーナリストV.N.イワノフが1926年の時点で書き残している。しかも、その翻訳は「限られた範囲の人たちのための限られた部数」を予定したものであったという。この翻訳作業が実行に移された確証もこれまた今のところ見つかっていないが、その可能性は完全に捨て去ることはできない。なお、嶋野三郎が「ユーラシア宣言」を翻案のかたちで題名も変えて満州国建国の翌年に訳出した意図については、私なりの判断を拙論の上掲箇所の直後に段落を改めて記したつもりである(以下はロシア語原文からの日本語訳)。
 「(ユーラシア)宣言」の翻訳である嶋野の論文は、一方において「新国家」満州国における、他方において共産ロシアにおける、「単一尺度への平準化」政策に対する鋭い批判であった。
 最後に、ルスナクさんの報告の中で満州におけるユーラシア主義思想の受容者として、嶋野三郎の他に、本間七郎、中野の名が挙げてあるが、いずれも拙論の前半で私が扱った人たちで、報告はそれを転用したものである。その際報告者が「中野氏」としている人物は「中根」の誤りで、拙論ではロシア文字綴りで《Наканэ Рэндзи》と明記してあるだけに、誠に残念である。「中根錬二」は1937年ハルビン学院を卒業後、協和会を経て母校で教鞭を執る傍らロシア史(特に東洋との関係)の研究に従事、『哈爾濱学院論叢』(第3号、1943年)にユーラシア主義を代表する歴史学者サヴィツキーの「ロシア史に関する地政学的覚書」(1928年、プラハ)の翻訳ならびにユーラシア主義についてのすぐれた解説を発表した。1943年ハルビン学院より東京帝国大学文学部に研究生として派遣されたが、ほどなく学徒出陣で出征、翌年の1944年秋フィリピンにて戦死した。
 蛇足であるが、拙論「極東におけるユーラシア主義」(露文)については、日本スラブ東欧学会発行の欧文誌Japanese Slavic and East European Studies(vol.18,1997)を、また嶋野三郎については「精神の旅人―嶋野三郎(1)~(17)」(『窓』92号~110号、ナウカ、1995-1999)を、それぞれ参照されたい。
(2003年7月13日記)

*編集より
 ルスナクさんの報告「ハルビンの白系ロシア人」は、原稿を事前に入手できなかったことから、通訳者が同時通訳し、それを後日倉田がテープおこしし、とりまとめました。
 米重教授のコメントの中で、文頭の、「東京大学の米重文樹教授は、ユーラシア主義者の思想は、1932年の「満州国建国宣言」にも影響を与えていると考えている。」という点については、ルスナクさんの発言がテープからは聞き取り難いこともあり、通訳者の訳に基づきました。折をみて、ルスナクさんに確認したいと思います。
 2点目の、「中根錬二」を「中野」と間違えているというご指摘について。テープを注意深く聞き直してみましたところ、1回目の引用では「ナカノ」とも聞こえるのですが、2回目の引用では、確かに「ナカネ」と発音していたことが確認できました。ここに訂正しお詫び申し上げます。(倉田)

「会報」No.24 2003.10.1 特別寄稿