函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

鈴木旭先生の思い出

2020年9月 7日 Posted in 会報

奥野 進

 2019年11月17日、当会初代会長鈴木旭先生の葬儀が、函館ハリストス正教会で執り行われました。心よりご冥福をお祈りいたします。
 当会の発足については、「函館とロシアの交流」(函館日ロ交流史研究会創立10周年記念誌 2004年)の冒頭で先生が紹介されている通り、1992年12月に鈴木先生と長谷部一弘氏(前世話人代表)、清水恵氏がウラジオストクのロシア科学アカデミー極東支部 極東諸民族歴史・考古・民族学研究所を訪問したことがきっかけとなりました。当初の事情は、後に設立時からの会員であった菅原繁昭氏から、函館市史として露領・北洋漁業の研究を進めるには、ロシア側の資料や研究成果が不可欠と考え、研究交流を進めるたの受け皿が必要だった、という話を伺いました。この話の通り、当初はロシアとのシンポジウムが会活動の中心とされ、大きな成果を残すことになりました。
 鈴木旭先生と函館市史の関わりは、1984年(昭和59)に鈴木先生が編集員に就任してからになります。当時の函館市史は、史料編や通説編第1巻はすでに発刊した後でしたが、半年ほど前に榎森進先生が編集長に就任され、学術的な視点からの見ても遜色ない市史を作るために編集態勢を一新された時期だったと伺っています。(翌年には、西村恵(後、清水)も事務局に加わり、すでに事務局にいた菅原氏を含め、当会の中心メンバーが集まります。)
 この言葉の通り、鈴木先生は2002年(平成14)の通説編第4巻(現代編)を終えるまで、長らく北洋漁業を中心とした函館の漁業史を一手に担われ、「北洋の街」函館の歴史を、新たな視点で描かれました。
 私が鈴木旭先生と初めてお会いしたのは、1998年(平成10)で、函館市史編さん室に奉職してからでした。当時は、通説編第4巻に着手したばかりで、各分野の専門家(編集員)が、それぞれの立場から函館の戦後を分析、議論する編集会議での質の高い議論に圧倒されてばかりだったように思います。
 当会については、鈴木先生のもと、清水氏、菅原氏、桜庭氏など市史編さん室の面々のお手伝いをしようとはじめたのがきっかけでした。2003年(平成15)、函館に住んでいたガリーナさんを迎え10周年記念シンポジウムを開催しましたが、終了後の懇親会では、鈴木先生をはじめ皆がとてもよい笑顔をしていたのが印象に残っています。鈴木先生が言われる歴史研究を通じた函館とロシアの「架け橋」のひとつの成果であったと思います。この頃の研究会は、当初目的とした研究交流をある程度達成したため、清水恵氏が中心となり、新たな視野での活動を模索しはじめた時期でもありました。
 函館市史では鈴木先生をはじめ諸先生方が編集にあたられた当時はまさに黄金期でした。函館日ロ交流史研究会の活動も草創期・円熟期であったと思います。そのようななかで、末席とはいえ、ご一緒できたことは、私にとって何よりの財産となっています。
 晩年はご病気もあり、会に顔を出すことも無くなり、お会いする機会もあまりありませんでしたが、当時の先生方の多くが鬼籍に入られた今になって、先生方の残された研究成果に触れる度に、その偉大さを思い知らされます。
 時代も変わり、歴史研究がなかなか脚光を浴びるような世の中ではありませんが、先生がつくられた研究・交流の「場」を何とか維持し、架け橋となれればと思います。

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ガリーナさんを囲んでの集合写真 後列左から3人目が鈴木旭先生

「会報」No.41 2020.3.3