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露西亜人より開拓使及県令に宛てた手紙の原文八五通内容目録

1998年4月26日 Posted in 市立函館図書館所蔵 ロシア語資料文献目録Ⅰ
露西亜人より開拓使及県令に宛てた手紙の原文八五通内容目録
01 封筒一束
 1.函館開拓使 御中
 2.函館縣令閣下 グリゴーリエフより
 3.開拓使官吏殿
 4.函館開拓使 御中
 5.外国課官吏 ミヤギ殿
 6.函館縣令閣下と杉浦誠殿
 7.函館開拓使御中 ヤ・チーハイより
 8.外国課官吏 ミヤキ殿
 9.開拓使 御中
27
ロシア司祭アナトーリイより魯語修業のための入塾生および奉公人の届書
1873.3.2/3.14
〔魯語修業のため入塾生7名と奉公人1名の氏名および出身地。〕
※田平 喜右衛門  陸奥国
  河田安 照      〃
  安藤 憲三     大分県
  馬場 民則     函館(亀田郡)
  小林 義光     青森
  奈良坂甚右衛門 日高
  五味 準      下野
      又吉     越後
48

ロシア司祭アナトーリイより届書<時任為基宛>
函館 1873.3.19/31

○入塾者届
〔・19日下総県出身ヤスカワ ハジメ他4名入塾。〕
※他の4名は、下総県出身1名、宮城県出身3名

47

ロシア司祭アナトーリイより届書<宛先不明>
函館 1873.4.12/24

○入塾者届
〔・11日宮城県出身学生シバタ ブンキチ入塾。〕

43

ロシア司祭アナトーリイより届書<宛先不明>
1873.4.24/5.6

○入塾者届
〔・24日トヨマ県出身サカイトクレイ入塾。〕

46

ロシア司祭アナトーリイより届書<宛先不明>
函館 1873.5.17/29

○入塾者届
〔・17日宮城県出身ハヤシ アズサ(林梓)他2名入塾。〕
※他の2名も宮城県出身者

28  ロシア司祭アナトーリイより在塾生
  および退塾生の届書
         函館 1873.7.24/8.5
  〔入塾生2名(1名は12才の児童)と
  退塾生1名の氏名と出身地。〕
   ※影田 孫一郎      水沢県
     粟屋 得一郎(12才) 宮城県
     沼辺 愛之助      宮城県
29

ロシア司祭アナトーリイより退塾生の届書
1873.6.9/6.21

〔在塾生の4学生(氏名・出身地)退去し、以後居住していない。〕
※大島 丈輔  仙台
  安川  一   印旛
  五味  準   宇都宮
  小林 源蔵  青森

23

ロシア司祭アナトーリイより入塾生の届書
函館 1873.9.4/9.16

〔入塾生4名の氏名。〕
※ダ テ  キエモン
  スガワラ ブンジ
  シブヤ  エンゾウ
  アンドウ ケンゾウ

24

ロシア司祭アナトーリイより在塾生および退塾生の届書
函館 1873.10.30/11.11

〔在塾生5名および退塾生2名の氏名および出身藩名。〕
※大立目 謙吾     陸奥藩
  高 原 賞造      岩手県陸中
  牧 野 守之佐    宮城県陸前
  道 家  弘       〃
  丹 羽  衛      トナミ
  アワノ ヨシオ      陸前藩
  アイダ チュウザブロウ 二本松

89

開拓大主典宮木経吉よりアナトーリイ宛回答書
1875.1.24/2.5

○.(2月2日附)受領書簡への回答
〔昨年8月旧ロシア病院敷地の使用を杉浦にお願いし、1ケ月後開拓使は該当地を使用し得る旨の通知を出したが、 それは最終決定ではないこと。契約書の交換も土地の授受もされていないから借用されたと思わないでほしいこと。 勝手に死人を埋葬したと聞き、その照会をしたが、貴翰の中に一言も返事がない。この件について詳細な返書がほしいこと。〕

11

開拓使七等出仕柳田友卿よりパウエル セルゲーヰッチ ゼレネーフ宛質問書
函館 1875.6.25

○水夫が子供に怪我をさせたことについての回答の請求
〔6月23日、水夫ジノウィーフョードロフが子供(トネイ エイタロウ)に怪我を負わせたことで、 懲罰に付すことをキターエフ少尉と警察署長と協定したにもかかわらず未だ回答がない。至急回答を求む。〕

14

ジョージ G ローダル船長ナダエロドフよりゴーダ宛依頼書(英文)
函館 1875.11.24

○二等船客としての乗船依頼
〔私と聖玄武丸に乗船する乗組員全員を二等船客として横浜に連れて行かれるよう依頼のこと。〕

16

ジョージ・ローダル号二等航海士より船長宛受領書
ロシア・ホテル 1875.11.24

〔ラッコ船より拳銃1箇、眼鏡1双受領のこと。〕

02

明治天皇の函館入港出港通知書(英文)
〔1876〕

○明治天皇の航行予定
〔明治天皇の函館港到着および出港予定時刻と、函館より青森港に到る海域航行禁止の予定通知のこと。〕

30

ロシア司祭アナトーリイ チーハイより開拓使宛通知書
函館 1876.11.4/11.16

○借地の返却について
〔1875年2月より借用の117号土地(117番地)は来る1877年より借地しないので、 1876年末をもって受取られたいこと。契約書は開拓使へ返却すること。来年より地代は支拂わないこと。〕

17-2

ロシア軍艦ヤポーネッツ号艦長ウィシニヤコフより警察署宛願書
1877.8.31/9.12

○上陸水夫の捜索願
〔上陸した水夫トレドグードフの捜索依頼のこと。〕

80

外国課官吏開拓使三等サ官ナガオカテルジ(長岡照止)、通訳トオトラオ(東虎雄)の覚
函館 1877.10.6

○公用金の受領と返済について
〔1877.11.16日函館支庁で海軍少尉キターエフ氏が公用金として受領した300弗は1877.11.25日日本暦明治10年10月6日返済した。 〕

82

ロシア帝国帆船アレウト号艦長海軍大尉セルゲイ・クラーシェニンニコフより時任為基閣下宛謝状
1877.10.7

○災厄時の折りに受けた種々の援助等に対する感謝状
〔災難、事故に対しての閣下、及び関係役人、住民の親切、その他の措置、援助に対しての感謝。〕

79

海軍少尉エゴーリエフより通知
1877.10.18/30

○船員の旅費の支払について
〔アブレク号士官及び下級乗組員の支払い済み旅費は函館到着後全額支払うこと。〕

75

機関長少尉補クリニツェフの受領書
函館 1877.10.27

○硬貨の受領について
〔硬貨200弗受領し受領証を置いてきたこと。〕

18

ロシア商人ソフィア アレクセーエフより開拓使外国課官吏三等サ官長岡照止宛回答書
函館 1877.11.2

○借地代金支払いの件についての回答
〔10月31日付開拓使よりの書簡に対する借地代金支払の件回答。不審の点があれば横浜ロシア領事館に交渉されたいこと。〕

25

日本駐在ロシア帝国代表部男爵ローゼンより函館県令時任為基宛書簡
東京 1877.11.22/12.4

○1877年10月12日付書簡に対する回答
〔ロシア帝国政府に対して、旧函館領事館の借用すべき土地区域の件に就いて審議を申請したこと。 併せて借地料の送金方を願い出たこと。〕

87

艦長海軍大尉クラーシェニンニコフより日本官憲宛願状
1877.11.23/12.5

○アレウト号士官の願い出を受けて欲しい旨の依頼
〔ハルツラリ海軍大尉の願い出の物品供与と同人金子欠如の節は貸与してほしいこと。〕

59

通訳トオトラオ、ナガオカテルジより<函館副領事エリニーツキイ>宛受領書

○瀬棚内函館間旅費受領につき
〔・1877年11月24日ロシア海軍少尉アレクサンドル・ニコラヰッチ・ キターエフより同人が支払うべき金額71ドル81セント5を受領。〕

56

アブレク号艦長海軍少佐より<函館県令>宛書簡
瀬棚内 1877.11.22/12.7

○遭難船アレウト号残留貨物今後の取扱並に遭難者援助への礼と折衝に当たった役人への称賛
〔・残貨目録の作成と引渡しに多くの日時必要・艦長クラーシェニンニコフと協議し、乗組員中士官2人、下級属員11名、 瀬棚に残留遭難船近辺に居住させ残置の物品資材の陸揚げを決定・遭難者に対する援助への礼と折衝の役人に対する称揚。〕

67

海軍少佐の書簡
函館 1877.11.30/12.12

○瀬棚にいる乗組員を函館で冬を過ごさせたいこと
〔私が瀬棚内に行かないことと、該地に残留の乗組員は函館に来て冬を越すことが好都合であること。それで、 乗組員を函館に行かせるため案内人をお願いしたいこと。私と連絡出来ない場合でもそうしてほしいこと。案内人無しでは、 乗組員は該地より出発できないこと。〕
※訳者注-①本書はアブレク号艦長の書簡です。②艦長が不在の場合乗組員が函館へ到着した時など行違いを生ずる。

55

ゲ・エリニーツキイより函館県令時任為基宛書簡
函館 1877.12.6/18

○副領事官赴任執務開始通告
〔・函館ロシア副領事臨時事務官掌として赴任執務開始につき通告。〕

62

アレウト号艦長代理海軍大尉ハルツラリ手簡<宛先不明>
第17号  瀬棚 1877.12.15/27

○物資及び食料未到着と不足のことについて
〔12月3(15)日函館の艦長よりの書簡でアブレク号の乗組員へ送ったはずの金子、食料品、 資材等をまだ受け取っていないこと。食糧不足で困っていること。アブレク号の士官、 水夫を函館へ送るべく全力を傾倒しているがまだそれもできていないこと。 食糧不足でアレウト号の乗組員も大変因っていること。〕

77

アレウト号艦長代理海軍大尉ハルツラリより函館開拓権大書記官時任為基宛書簡
第26号 瀬棚内 1877.12.20/1878.1.1

○約束事項の遵守について
〔士官あるいは水夫を函館に差し遣わす節はその都度許可を取り付けることになっていること。 一昨日本船の機関士を事前の許可無く函館へ出向させたことについての詫び。今後約束は几帳面に守ること。〕

58

アレウト号艦長代理海軍大尉ハルツラリより<函館副領事エリニーツキイ>宛証明書
第32号 瀬棚内 1877.12.22/1878.1.3

○アレウト号乗組員用食料品・物資材・牛到着証明
〔・食料品・物資材33箇、牛2頭・函館より瀬棚内へ異状なく到着。〕

52

G・エリニツキイより警察署長アリタキ宛書簡
函館 1877.12.26

○副領事官赴任につき誓約並に挨拶状
〔本港〈函館〉ロシア副領事官赴任に際し、両国親善に全力傾注の誓約。〕

54

グリゴーリイ・エリニーツキイより<時任為基宛>書簡
函館 1878.1.8/21

○アブレク号水夫の取扱につき依願
〔・アブレク号の水夫らの瀬棚より函館到着までの経過・ 在函水夫で夜中酩酊し住家へ帰れず街頭で発病する者が生じた場合の取扱などを、 警察署に対しロシア旅館ピョートルに投宿中の乗組員取締エゴーリエフに通知方の命令を依願。〕

85

アレウト号艦長代理ハルツラリより瀬棚内官吏(ジェストキムブ)クマガイ カツタロウ宛交付願
第3号 1878.1.9

○アレウト号の救助に関しての打ち合わせのため函館へ行くための許可書の交付について
〔本船の救助に関し浦塩斯徳の管轄庁と電報打ち合わせのため函館へ行きたいので許可書を交付してほしいこと。〕

73

グリゴーリイ・エリニーツキイより権大書記官時任為基宛書簡
第14号  函館 1878.1.26/2.7

○物資運搬のための馬の世話を依頼すること。ハルツラリ氏の函館への出発について願うこと。
〔ハルツラリ氏の願により乗組員の物資が必要であり、その運搬のための馬の都合についてご援助をお願いすること。 費用はハルツラリ氏又は浦塩斯徳より来航の軍艦に於いて弁償すること。 ハルツラリ氏より瀬棚内より函館へ出向きたいと通知があったので、 同氏の出発について差し支えのないよう措置してほしいこと。〕

50

グリゴーリイ・エリニーツキイよりオノデラ宛書簡
函館 1878.1.31/2.12

○ハルツラリ氏、県令との会見希望につき
〔・本日(31日)何時に参趨してよいか県令に伺って下さい。〕
※「49」の書簡参照

49

オノデラ ロイチよりグリゴーリイ・エリニーツキイ宛書簡
函館 1878.1.31/2.12

○ハルツラリ氏の県令との会見希望不叶につき通知
〔・31日会見希望のエリニーツキイ書翰への返書・県令健康を害しているので会見不叶・ 何れ県令より開拓使へ御来駕の通知を出す。〕

78

函館外国課官吏開拓三等サ官ナガオカ テルジ仕切書(写)
1878.2.2/14

○函館より瀬棚向け食糧品・牛運搬仕切書
〔函館より瀬棚内向け食糧品及び牛運搬仕切書・78円79銭8厘-32個運搬のため馬匹と人夫賃、・ 4円25銭-牛2頭運賃、・7円8銭6厘-牛の飼料代。〕

72

開拓権大書記官時任為基よりグレゴーリイ・エリニーツキイ宛書簡
第1号 函館 1878.2.7

○第14号の書翰についての回答とハルツラリ氏の来函は難しいことについて
〔貴翰14号で瀬棚内にいる乗組員用物資輸送の馬7頭の希望については主宰役人に命令するので日時を知らせてほしいこと。 ハルツラリ氏の来函については乗組員の監督義務があり容易に来函出来ないこと。 去年ハルツラリ氏より急務は起こさないので函館へは行かないと手紙が来ているので、 ハルツラリ氏の来函願は聞き届け難いこと〕

34

送付状
函館 1878.2.8

○蠣及び鹿肉缶詰贈呈送付状
〔石狩セイレン所製蠣缶詰2箇、札幌製造の鹿肉缶詰2箇贈呈 同品の良否につき試食を依頼。〕
※34-2より
  差出人は権大書記官時任為基
  宛先はグリゴーリイ・エリニーツキイ

70

ロシア副領事グリゴーリイ・エリニーツキイ書簡<宛先不明>
函館 1878.2.8

○遭難船アレウト号の競売についての連絡
〔瀬棚内で遭難したアレウト号は本年2月15日横浜副領事館で競売にされる旨、 東京代表部ローゼン男爵より通知があったことを通暢すること。〕

76

函館外国課役人開拓三等サ官ミウラノブノリ書付
函館 1878.2.14

○ハルツラリ氏の旅行勘定書
〔江差より函館に至るハルツラリ氏旅行勘定書・宿泊、食事、馬賃、人足心付(14円65銭)。〕

71

ロシア副領事グリゴーリイ・エリニーツキイ宛書簡<宛先不明>
函館 1878.2.16

○函館・瀬棚間の冬の距離について証明書の交付を願うこと
〔函館・瀬棚内聞の距離は冬季行程で何里あるか証明書を交付してほしいこと。〕

34-2

グリゴーリイ・エリニーツキイより権大書記官時任為基宛礼状
函館 1878.2.17

○缶詰恵贈につき礼状
〔缶詰4箇恵贈に対する礼。缶詰2箇は、数週日後東京へ出立予定につき、特に同地へ持参の旨。(追伸) として決算済郵便通帳受取の礼。〕

31

グリゴーリイ・エリニーツキイより権大書記官時任為基宛願書
函館 1873.3.3

○東京出張中のロシアへの配慮依頼
〔明3月4日兵庫丸で上京、暫く東京に出張するが、私が赴任前および赴任中同様に、 今後もロシアの利益に関して高配を願うこと。〕

73-2

時任為基よりロシア副領事グリゴーリイ・エリニーツキイ宛書簡(写)
函館1878.3.5

○牛輸送の件について
〔過日オノデラが牛輸送の件で貴下と話し合ったが積雪深く困難で、別途の方法を取れるようになったら改めて通知すること。〕

64

乗組員取締エゴーリエフより開拓使宛許可願
函館 1878.3.6/18

○素行不良水夫の監禁所設置について
〔アブレク号の素行不良の水夫を拘禁するための監禁所を作らせてほしいことと同人を7日間拘禁すること。 彼の食事は当方でその場所へ差し入れること。〕

65

乗組員取締エゴーリエフより開拓使宛割当願
函館 1878.3.8/20

○素行不良水夫の監禁所設置について
〔懲罰する水夫が更に一人出たので、もう一カ所監禁所を割り当ててほしい。〕

61

開拓権大書記官時任為基よりグリゴーリイ・エリニーツキイ宛書簡(写)
第3号 函館 1878.3.10

○奉公人姓名書送付依頼
〔函館在住ロシア人方に奉公している奉公人の姓名を日本文字で届け出るように指示し、その書面が出来たら送ってほしいこと。 〕

66

乗組員取締エゴーリエフより開拓使へ依頼
函館 1878.3.11/23

○罹病水夫の監禁解除について
〔水夫アントノーフが発病したので監禁を解いてほしいこと。〕

53

開拓使大書記官時任為基よりロシア副領事グリゴーリイ・エリニーツキイ宛手簡(写)
函館 1878.3.13

○京都博覧会の栞配布願
〔3月15日より100日間開催京都博覧会の栞送付につき、函館在住のロシア人に配布願。〕

32

グリゴーリイ・エリニーツキイより権大書記官時任為基宛送付状
第30号 函館 1878.3.15/3.27

○奉公人名簿の送付について
〔ロシア人宅に奉公する日本人名簿2通の送付。〕

57

開拓一等サ官オノデラ ロイチ作成勘定書(写)
函館 1878.3.15

○函館より瀬棚内向け食料品運送勘定書
〔・食料品送達人夫賃及び馬匹賃51円12銭5厘・同検査役人旅費5円40銭。〕

40

開拓権大書記官時任為基より函館ロシア副領事グリゴーリイ・エリニツキイ宛書簡(写)
第6号 函館 1878.3.25

○電信局の開設通知と函館在住ロシア人への通暢依頼
〔・本日(25日)より符字による通音の電信局開設、従来のは試験局。・この旨を函館在住ロシア人へ通知依頼。〕

63

函館ロシア帝国副領事エリニーツキイより開拓使宛
第34号 1878.3.8/4.9

○食糧品、物資等の請求
〔本書に添付の第32号の物資等を瀬棚内にいるハルツラリ海軍宛送ってほしいこと。〕

51

G・エリニツキイより時任為基宛書簡(英文)
1878.4.30

○御会食願
〔5月1日12時、ロシア・ホテルで家族同席で時任との会食願。〕

15

六門砲装備スクリュー船ヤポーネッツ号艦長海軍少佐ミハイル・ウィシヤコフより函館縣令宛依頼書
第876号 1878.12.30

○罹病水夫の取扱いにつき依頼
〔水夫フィリッフ イワノーフ肺炎のため函館病院に入院させたこと、病院費用は横浜ロシア帝国領事館より支払うこと。 病人全快の節は横浜領事への送致を依頼したい。〕

09

水道工事主任技師より開拓長官黒田総督閣下宛書簡(英文)
第16号 東京 1879.3.31

○函館水道建設案に対する意見書
〔函館1879.1.27付函館縣令時任為基に意見具申したクロフォードの水道計画書に対する、水量、 パイプ容量などを中心とした意見。〕

42

ロシア司祭アナトーリイ・チーハイより開拓三等サ官ナガオカ テルジ宛書簡
1879.4.9

○当館現在日本人奉公人名簿提出につき通知
〔・奉公人名簿の提出・7月迄函館を不在にするが、代わりにチャーエフ司祭が居住。〕
※奉公人名簿は不明

06

アメリカ総領事より函館開拓大書記官時任為基宛回答(英文)
第4122号 1879.8.29

○合衆国譲渡の地券を渡すための指令
〔8月26日、函館アメリカ領事代理ダム氏に電報で請求のあった、 アメリカ合衆国譲渡の二地域の地券を速やかに渡すよう指令したこと。〕

12

ア.グリゴーリエフからの通知書
函館 1879.9.10

○派遣員が横浜へ出発のこと
〔ブレーメン地理学協会派遣員男爵アレクサンドル フォン ダプへリマン海軍大尉私用のため三菱会社の汽船で横浜へ出発のこと。 〕

19-2

グリゴーリエフより函館県令宛依頼書
函館 1879.10.4

○アイヌ見学旅行願と国内の狩猟許可書下付願
〔ユーラップおよび山越内へ数日間アイヌ見学に旅行したいのでヨーロッパの言語を自由に出来る人を同伴させてほしいこと。 更に学術目的で函館周辺および国内の狩猟許可書を下付してほしいこと。〕

19

グリゴーリエフより函館県令宛礼状竝地通知書
函館 1879.10.4

○狩猟許可書不要の件について
〔私は当初の鳥類狩猟の計画を断念、更に土俗学的練習をやめ、魚、軟体動物等の蒐集に限ったので、 狩猟許可書は不要となったこと。〕

38

ロシア帝国領事館ペリカーエフより函館県令宛書簡
1879.11.5

○ノルデンスキオリド号救出品売却金下渡願
〔同船よりの救出品売却代金より受領書と引換に宣教師ガヴリエルへ120円の下渡を依願。〕

26

函館役所勤務開拓大書記官時任為基よりガヴリール チャーエフ宛礼状
明治13年1月8日〔1880〕

○明治12年函館火災時の罹災者救恤義捐金に対する礼状
〔明治12年10月6日〔1879〕函館の火災に際し、罹災民救恤のための送金に対し開拓使長官より感謝があった事 (ガヴリール チャーエフの懇切な意見に開拓使長官は同感とあるが内容不明)。〕

88

横浜ロシア帝国副領事館副領事ペリカーエフより函館県令宛書簡
第11号 1880.1.10/22

○窃盗犯逮捕とそれに関わる事項の処理について
〔函館在住ドイツ人シュリューテル方で窃盗を働いた自称ロシア人ストルジェフスキーを去年11月横浜で逮捕したこと。 8年ほど前日本人コサンキチに伴われロシアを出国しコサンキチの許に寄寓していたこと。ストルジェフスキーの詳細について、 告訴された犯罪等について調べたこと等を早急に領事館へ送ってほしいこと。 コサンキチ方にあるというストルジェフスキーの身分証明書も送付してほしいこと。 コサンキチに関しての情報は函館のシュリューテルストランド商会より取得しようとしていること。〕

41

副領事ペリカーエフより函館県令書簡
第79号 1880.3.9/21

○アレウト号遭難関係支払済開拓使出費差引分送金につき通知
〔・2月27日付函館県令書翰に対し91ドル57を送金。・この金額は、 1878年10月21日付函館県令書翰に基づき支払済の11ドル32を差引いた分である。・受領通報を下さい。〕

37

副領事ペリカーエフより函館県令宛書簡
第153号   横浜 1880.3.21

○ノルデンスキオリド号船主代理人セレブレンニコフの庇護並びに援助依頼及び同船に係る函館・ 根室県令の支出金額の取扱について
〔・ ノルデンスキオリド号救助作業監督のため浜中へ行くセレブレンニコフ函館滞在中の庇護と可及的速やかに浜中へ出発できるよう援助を依頼。 ・ノルデンスキオリド号にかかる函館・根室県令の支出金額を電報で通知して下さい。・ 根室県令には同船関係出費総額をできる限り早く知りたい旨を通暢して下さい。・詳細な勘定は後日精算する。〕

39

横浜ロシア帝国領事館副領事ペリカーエフより函館県令宛書簡
第196号    1880.4.27/5.9

○アレウト号遭難関係開拓使出費支払不足分送金につき通知
〔・4月5日発函館県令電に対し20円97銭送金分は、3月9(21) 日付送金のアレウト号遭難にかかる開拓使出費の支払不足分である。この金子の受領通知を下さい。〕

36

横浜ロシア帝国領事館副領事ペリカーエフより函館県令宛書簡
第279号 1880.7.12/24

○遭難汽船ノルデンスキオリド号の処置につき依願
〔・船主代理人セレブレンニコフ遭難現場残留鉄材の売却・函館回送方は依願済。・上記につき、 ノルデンスキオリド号2等船手ショスツーノフを根室に派遣につき、鉄材未売却で未回送の節は、 函館へ回送のためショスツーノフに援助を依願。・函館在泊帆船「アキシ」丸が、 従来の条件で鉄材の函館回送承諾の場合は契約書の取り決めを依願し、ショスツーノフの同船への便乗と遭難現場へ出発を依願。 ・アキシ丸並に他の船舶が回送不取扱の節は、ショスツーノフを根室に出発させ、 遭難現場より落石湾へ鉄材回送に要する人夫をショスツーノフへ供給を願う。・ 遭難現場に海没中の錨引揚げにつきショスツーノフに助力を願う。・ 遭難現場より鉄材搬出済後は石炭の番人不要かつ値段に拘泥せず売却して欲しい。〕

35

ショスツーノフより函館県令閣下宛書簡
函館 1880.8.5

○露語通訳貸与願及根室県令へ口添え依頼
〔・ノルデンスキオリド号の金子拝借につき礼・19日汽船東海丸で根室へ出発につき露語通訳1人貸与を依願・ 鉄材を浜中へ搬出しその後の役務に従うため、小船2隻、大船1隻、人夫10名の雇入につき根室県令へ口添えの1筆を依頼。〕

10

三檣船クニヤージ パジャールスキー号艦長パーウェル・ツィルトフより函館縣令宛書簡
1880.11.20

○訪問日の変更
〔豪雨のため本日訪問できなかったので、延留の節は月曜日に伺うこと。〕

08

松本農商務権大技長より函館県令時任為基宛書簡(英文)
札幌 1883.4.26

○函館水道工事案に関する時任為基の書簡(4月2日付)写しに対して提出した意見・見積書
〔内容:(1)水量と主要パイプ、(2)水道パイプ、(3)外国購入、(4)函館水道工事案見積書、(5) 函館水道工事案最終見積書。〕

05

農業技師エルンスト・ウェッテルゴフ自筆の住所書

○ニコリスコエ村

13

玄武丸積荷目録

〔1.麦粉、5箱-2.赤煉瓦、100ケ-3.白煉瓦、100ケ-4.瓦、各種-5.石炭、 10袋-6.リキュ-ル酒、150本-7.アルコ-ル、72本-8.蜜柑酒、60本-9.香水、15瓶-11.羚羊皮、 12枚-12.大皮、24枚-13.靴皮、30枚-14.機械用皮、6枚-15.靴底皮、6枚-16.鮑といりこ、1箱 (1布度143)-17.鮪、1箱(1布度464)-18.昆布、1ケ(1布度143)-19.刻昆布、1箱 (1布度853)-20.各種昆布、2ケ-21.ラッコ皮、2枚、<赤字一布度=3 6/7フント>〕

17

海軍大尉より警察署宛願書

○水夫の赦免願
〔帰国のためこの願書持参の者達と共に水夫を赦放下さい。〕

20

ロシア商人ソフィア アレクセーフ雇傭日本人名簿

〔ロシア商人ソフィア・アレクセーフが雇った日本人コック、馬丁、小使いなど3名の役名、氏名、年齢、雇入年月日、 本籍地、身分、請負人(親分)氏名。〕
※トガシ ヨウスケ   山形県
  ヨネヤ ソウキチ  秋田県
  フジタ コウハチ   函館

21

ロシア商人ソフィア・アレクセーフ雇傭日本人名簿

〔ロシア商人ソフィア・アレクセーフが雇った日本人コック、牛の牧夫、馬丁、ボーイ、コックの助手など5名の役名、 氏名、年齢、雇入年月日、本籍地、身分、請負人氏名。〕
※ヒキヤ チュウスケ   秋田県
  コメヤ ソオキチ    秋田県
  ミカミ トラキチ    青森県
  フジタ コオハチ    函館
  スガワ チョオノスケ  岩手県

44

ロシア司祭アナトーリイ・チーハイより届

○ロシア商人ソフィア・アレクセーフ雇傭日本人名簿
〔・イガラシ トオゾオほか4名の役名・氏名・年齢・雇入年月日・本籍地身分・請負人(親分)氏名。〕

68

アレウト号艦長海軍大尉クラーシェ・ニンニコフより閣下宛書簡(英文)

○遭難船アレウト号の船員の状況並に、必要金子の支給額および盗難防止の協力願
〔アレウト号は瀬棚内湾で遭難し、士官、乗組員は日本の村に分散避難していることを通知すること。 派遣した士官キタエフ海軍少尉補に諸経費300~400弗を支給して欲しいこと。 艦所持品の日本人による盗難防止のための協力を通暢すること。〕

74

艦長海軍大尉クラーシェ・ニンニコフより要望書

○製箱用材料要求とその運搬方法について
〔製箱用として板200枚、角材100ケ必要。これを乗組員の手許まで送達できない時は馬20頭を必要とすること。 そして馬の行く11里先の地点まで諸品運搬のため運搬人16名を必要とすること。〕

81

士官及び水夫の旅行勘定書

〔・士官3人旅行勘定書一宿泊・食事・馬賃・瀬棚内函館間艀輸送(27円63銭2厘)・水夫11名旅行勘定書ー宿泊・ 食事・馬賃・瀬棚内函館間艀輸送(58円33銭6厘)〕

83

艦長海軍大尉クラーシェ・ニンニコフ書付

○二本マスト機船アレウト号の概要及び士官名簿
〔・長さ、幅、馬力、排水屯、・士官、属員、乗客、・艦長、当直司令、操舵長、機関長、航路標機士官。〕

84

海軍大尉ハルツラリ書簡〈宛先不明〉

○配慮を頂いたことにたいしての謝状
〔仕事全般にわたって面倒をかけたことと配下の役人の世話に対しての謝状。 太平洋艦隊へ提案の通り本船の所有物品及び乗組員を函館へ回送するよう書簡を出したこと。 近々その提案に副う許可が横浜から来るであろうこと。〕

86

艦長海軍大尉クラーシェ・ニンニコフ書付

○アレウト号船員等の状況
〔士官及び属員は11月7日より日本人家屋に分宿し、最初の三日間は食事付きであったこと。〕