函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

現代ロシアの結婚式(体験談)

2012年4月24日 Posted in 会報

遠峯良太/エレーナ

 2006年8月18日、新婦の故郷であるウラル山脈の麓の町エカテリンブルグで私たちは結婚式を挙げた。
 関空からウズベキスタンのタシケント経由で約半日。新郎はロシア初渡航となる両親、おばと共に向かった。
 ロシアの結婚式の長い一日(正確に言うと一日では終わらない)は、昼すぎに新郎が新婦の家に迎えに行くことから始まる。
 しかし花嫁はすぐには出てこない。アパートの入口で新婦の友人に通せんぼされ、新婦にふさわしい男かどうか試される。新婦の家まで数々の難関――新婦のキスマークを当てる、輪切りのレモンの下に女性の名前が書かれた紙が入っていて、新婦の名前を引き当てるまで食べ続ける、結婚に関するクイズを解くetc. ―─を突破しなくてはならない。
 この儀式を「ヴィクプ」といい、ロシアの結婚式の始まりには欠かせないイベントである。結婚に際して新郎新婦の同姓の友人各1名が「証人」となるのであるが、「ヴィクプ」を取り仕切るのは新婦の証人。一方、新郎の証人は新郎が関門を突破できるよう手助けするのである。
 では、問題が解けない場合はどうなるか?手持ちの現金やウォッカ、お菓子を差し出し、新婦側と交渉して通してもらうのである。
 なお、「ヴィクプ」という言葉には「買収」という意味もあり、元来は花嫁を買う儀式であった。結婚前に金品を贈るという意味では、意義も形式も異なるが、日本の結納に似ているとも言える。
 ヴィクプが無事に終了し、新郎が新婦を「買収した」ところで、数台の車に分乗して町の名所めぐりに繰り出す。「ヨーロッパとアジアの境界線」や二人の通っていたウラル大学などで記念撮影をしたりシャンパンで乾杯したり......晩夏のウラルの青空の下、のどかなひと時を過ごすことができた。ロシア人のカップルは、無名戦士の墓に行って花束を捧げたりすることも多い。新郎が留学していた3年前と比べ、町並みが確実に近代化してきており、旧ソ連時代の面影が次第に薄れていっているのがはっきりわかる。立ち並ぶ新築の高層ビルにこの国の好景気ぶりを実感させられた。
 続いて、夕方6時から挙式が始まる。場所は町の戸籍登録所(ザックス)。役場の一室が式場になっているのである。宗教活動が制限されていたソ連時代の名残といえるだろう。現在は正教会で挙式を行うカップルも多いが、新郎新婦共に正教徒であることが条件となる。
 婚姻届1枚で済んでしまう日本とは異なり、ロシアの婚姻手続きは煩雑だ。結婚式の1ヶ月前と2日前の2回、夫婦そろって役場に出向いて申請しなくてはならないのである。若くして結婚し、すぐに離婚してしまうカップルが多いため、考え直す時間的猶予を与えるためといわれている。
 役場の結婚式では、式を執り行うのは聖職者ではなく役場の職員。教会のような荘厳さはないが、親しみやすい雰囲気であった。全体的な流れは日本のキリスト教式の挙式のような感じだが、やはり要所要所で違いはある。式の途中に婚姻届にサインすると、結婚証明書が交付される。続いて指輪の交換(ロシアでは右手薬指にはめる)。そして最後に新郎新婦が皆の前で一曲踊るのである。
 披露宴は町はずれのホテルで行われた。入口では、新婚夫婦を新郎の母がパンと塩を両手に出迎える。新婦を新しい家に迎える儀式である。このパンに新郎新婦が順番にかじりつく。より多くかじり取った方が、家の主になるという言い伝えがある。さらに、これが人生最後の辛味になるよう願いを込め、パンにたっぷり塩をつけて相手に食べさせる。感動もあって(?)思わず涙が出た。ロシアの結婚式は、とにかく身体を張る場面が多い。
 披露宴が始まると、陽気な参加者のテンションがさらに高まり、我々から時間の概念をすっかり取り去ってしまった。所定の時間内で詳細なプログラムが組まれ、スタッフが常時進行を確認し、細かい指示に従って動く最近の日本の披露宴とは対照的である。その場にいたほとんど全員が余興やスピーチを行い、時間が空くと音楽が流れ出し、ダンスに興じる。
 その合間に、突発的に「ゴーリカ!」という掛け声がかかる。「酒が苦い(ゴーリカ)からキスで甘くしろ」という意味で、この掛け声がかかるたびに新郎新婦は立ち上がってキスをするのである。
 披露宴の最中、突然新婦の靴が盗まれた。新郎たちが芸をしてそれを取り返すのだが、これもロシアの披露宴の定番で、本来は新婦自身が盗まれ、新郎が探し当てる、というイベントである。
 この一日は時間を忘れるほど楽しく、参列者一人一人が心からの言葉をかけてくれ、胸が熱くなった。お開きは結局夜中の2時。翌日も午前中から2次会という豪快なスケジュールであった。通常はその翌日も宴は続くそうだが、新郎側が外国人ということで、手加減してくれたそうである。
 総じて形式ばらず、心のこもった今回の結婚式は、言葉の壁を軽々と乗り越え、一緒に行った遠峯一家をたちまちロシアファンにしてしまった。

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「会報」No.30 2007.10.1 研究会報告要旨(その1)