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北のシルクロード ―佐々木史郎著『北方から来た交易民』(NHKブックス)の紹介を兼ねて―

2012年4月22日 Posted in 会報

榎森進

 "北のシルクロード"という言葉は、未だ歴史用語としては必ずしも定着してはいないが、ここでは、主として江戸時代に、いわゆる「山丹交易」によって、中国産の絹織物が長崎経由ではなく、松前藩や蝦夷地幕領期の幕府を介して日本社会にもたらされていたことから、この北からの絹織物の交易の道を、中国と西方の諸地域を結んだ本来の"シルクロード"にあやかって、こう称することにした。
 ところで、この"北のシルクロード"に関わる「山丹交易」に関する研究は、近年とみに盛んになってきている。その主要な特徴点を挙げると次のとおりである。(1).近世の「鎖国」に対する理解のしかたが、近年大きく変わり、対外関係の窓口は長崎のみであった、という従来の「鎖国」観に代わって、当時の対外関係の窓口は、長崎の他に薩摩藩―琉球、対馬藩―朝鮮、松前藩―蝦夷地(アイヌ民族)という三つがあり、しかもこうした「四つの窓口」を介した対外関係のあり方は、相手の異国・異民族との対等な関係ではなく、中華思想を軸にした"華夷秩序"を基にして編成されていた、と解されるようになったこと。(2).こうした「鎖国」に対する新たな理解を背景として、北の窓口である「松前口」のあり方の一つとしての「山丹交易」への関心が高まったこと。(3).日本と中国・ロシアとの学術交流が進展するなかで、「山丹交易」の実態解明が急速に進展し、中国の研究者も北の「絲綢之路(シルクロード)」に関する研究をし始めたこと。以上の諸点がそれである。
 本書は、サブタイトルに「絹と毛皮とサンタン人」とあるところからも分かるように、文化人類字を専門とする著者が、これまでの著者のアムール河下流域の先住少数民族に関するフィールドワークを軸にした研究成果を基にしつつも、「山丹交易」に関する従来の民族学・歴史学の研究成果を積極的に吸収しながら、近世の日本社会側から「サンタン人」と称された人々の社会や彼等の実態に迫ろうとしているところに本書の大きな特徴がある。
 スペースが限られているので、本書を読んで私が最も興味を持った問題を一つのみ挙げると、かの有名なサハリン・アイヌの「サンタン人」との交易における"負債"の問題について、このアイヌの負債の本質は、当時「サンタン人」が他民族と交易する時には、商品の前渡し方式をとっていたところにある、と指摘しているところである。従来この問題については、狡猾で奸智に富んだ「サンタン人」が無知蒙昧なアイヌを騙して交易していたために生じたものと説明され、しかも文化年間、松前奉行配下の松田傳十郎がアイヌの負債を肩代わりして「サンタン人」に支払い、アイヌの窮状を救った、という点のみが強調されてきただけに、この著者の指摘は重要である。先住民族自身の立場に立ってものを見る視点の大切さを我々に示してくれた指摘であるからである。
 「山丹交易」は、ロシアが沿海地方やサハリンに進出してくる以前にあっては、中国―アムール河下流域の先住民族―サハリンのアイヌ民族―日本、という関係を軸にして発展したが、1858年の愛琿条約と1860年の北京条約を中心にした前近代の北方世界のあり方を知るうえでも貴重な文献である。

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「会報」No.4 1997.7.10