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函館図書館ロシア関係古文書:露語及日本語対照版内容目録

1998年4月26日 Posted in 市立函館図書館所蔵 ロシア語資料文献目録Ⅰ
函館図書館ロシア関係古文書: 露語及日本語対照版内容目録
01

I.ゴシュケーヴィチロシア帝国領事より箱館奉行<竹内下野守>宛書簡(英文)
1860.04.23/1860.05.05

○臨時教会建設許可願
〔法華寺に臨時的に建設された教会堂残存するも早晩領事館内に移転を予定。現在、資材と職人を要する建築工事多々あるので、 新たな恒久的な教会堂建設まで領事館外南東の隅に臨時教会の建設を許可願いたい。〕-1枚-

02 

少尉□□よりの受領書<宛先不明>
1867.10.26

○ウスリー川で日本人保管ロシア船(付属品とも)につき受領書
〔アギモからの5人の役人によって届けられた。届けた労務者は1人のアイヌと5人の日本人。附属品は櫂、マスト、帆、 料理用鍋。品物はすべて保存が完全であった。〕-2枚-

03

領事E.K.ビュツオフよりの受領書<宛先不明>
1868.12.26

○商人ピョートル・アレクセーエフ対請負師文蔵訴訟支払金の受領
〔アレクセーエフへの支払金338両、箱館税関より箱館ロシア領事館にて受領。〕-1枚-

04

A.オロロフスキイより蝦夷知事<東久世通禧開拓使長官>閣下宛書簡
函館 1870.08.22

○ロシア皇帝政府よりミカド政府への献上品送付の取扱について
〔献上品が江戸の外務大臣宛の小包同様の扱いで宮中へ届けること、 外務大臣宛のオロロフスキイの手紙献上品と共に送付することを依頼。〕-1枚-

05

A.オロロフスキイ領事代行より蝦夷知事閣下宛書簡
函館 1870.08.24

○松前岬に灯台設置請願について
〔松前湾付近での砲艦ソーポリ号航行中の体験を踏まえて灯台の設置を強調。 ミカド政府が灯台設置請願を拒否しないこと及び蝦夷知事の請願採決への斡旋を確信。 実地検分としてソーポリ号にミカド政府の委員会の同乗を提案。〕-3枚-

06

オロロフスキイロシア帝国領事代行より岩村判官・杉浦権判官宛書簡
函館 1870.08.27

○守護聖人紀年日(8月30日)の祝砲発砲について
〔停泊中の砲艦ソーポリ号が祝砲を発砲すること。この祝日に参加〈祝砲〉を依頼。〕-1枚-

07

オロロフスキイロシア帝国領事代行より岩村判官・杉浦権判官宛書簡         
函館 1870.08.27

○停泊地で訓練用小型弾丸空砲発射に関する質問
〔ソーポリ艦長の依頼で質問し返答を求める。質問は、ソーポリ艦乗組員の小銃と大砲の操作訓練のための空砲発射が、 函館の規則に背反するか否か。〕-1枚-

08

ヴィサリオン.サルトフの受領書<宛先不明>
1870.09.01

○ロシア領事小包5個受領-1枚-

09

A.E.オロロフスキイより杉浦権判官宛書簡
函館 1870.9.23

○函館港に港湾長任命要請について
〔数日前に発生した日本船の火災は、港湾長の必要性を証明した。港湾長の任命に日本政府が奔走すること。任命された役人は、 船舶の配置、火災に関する国際海洋法規の遵守などの監視義務を負うこと。港湾長の権利義務は、 函館港のヨーロッパ諸国領事館と函館の日本当局との協議によって取り定めること。以上の要請を正当と認めて放置しないこと。 〕-2枚-

10

A.E.オロロフスキイより通信<宛先不明>(英文)
1871.01.09

○貸与済み海図返品願について
〔海図はハクマイ湾。返品はポーター氏に、ポーター氏が受領書を書くはず。〕-1枚-

11

A.E.オロロフスキイより通信<宛先不明>(英文)
1871.04.22

○死刑執行の見物依頼について
〔死刑の執行は本当か。見物を望むので場所〈刑務所か亀田か〉を知らせて欲しい。〕-1枚-

12

A.E.オロロフスキイより判官杉浦誠宛書簡
1872.04.13

○アレクサンドル2世誕生祝日領事館事務所閉館通知について
〔4月17日はロシア皇帝アレクサンドル2世誕生大慶祝日につき領事館事務閉鎖。〕-1枚-

13

A.E.オロロフスキイより判官杉浦誠並びに松平宛手簡
函館 1872.04.29

○日本人官吏(今田彦三郎、小松)領事館内の学校入学希望の取扱について
〔キリスト教徒迫害事件決着まで、2人の官吏今田彦三郎と小松は入学を望まないとの通知を受けた。 小官の津田と影田の釈放要求の成否と今田と小松の在学禁止とは無関係である。 侮辱は領事館に加えられたが故にこのような態度をとらざるをえない。キリスト教徒迫害について連絡しないで欲しい。 小官はこの件で貴方に抗議や議題として提起したことはないのだから。このことは、 月曜日に貴方に送る速達便で分かるであろう。〕-2枚-

14

A.E.オロロフスキイロシア帝国領事より函館知事杉浦誠<中判官>宛書簡
1873.01.17/1873.01.29

○1月13日付け杉浦誠書簡への回答
〔らっこ皮1箱確かに受領し、コルベット艦「ヴィチャズ」号の艦長である提督に届けること。〕-1枚-

15

大主典杉山孝治よりアナトーリイ司祭宛通知
1873.05.02

○ロシア語習得者名および知事からの贈品について
〔昨年から現在までに、山口五郎太、本多銀次郎、高木平三郎がロシア語を習得した。 このことに感謝し知事から書面の通り贈物を与える次第。〕-1枚-

16

ロシア司祭アナトーリイの受領書
1873.04.20/1873.05.03

○返礼品受取について
〔日本人学生にロシア語教授につき、函館知事より送付の贈物確かに落手のこと。〕-1枚-

17

ロシア司祭アナトーリイより大主典杉山孝治ほか御一同宛書簡
函館 1873.04.21/1873.05.03

○開拓使からの贈物拝受につき礼状
〔山口五郎太、本多銀次郎、高木平三郎へロシア語教授に対する開拓使からの贈物。 地方当局の要請に基づいた仕事へ関与し得たことを意義づけている。〕-2枚-

18

A.E.オロロフスキイより函館知事杉浦誠宛書簡(英文)
1873.05.19

○領事館借地代金支払サルトフへ委任について
〔函館へ向かっているサルトフに、1873年前半期分領事館借地代金120両支払を委任。 支払後折り返し受領書の送付を要請。〕-1枚-

19

ロシア司祭アナトーリイの両替につき依頼状<宛先不明>
1873.08.11/1873.08.23

○300メキシコ・ドルの両への両替-1枚-

20

ロシア司祭モイセイ・カスタナエフより大主典宮木宛書簡
函館 1874.01.01/1873.01.13

○「手紙」拝受につき礼状
〔東京よりの「丁重なお手紙」に深謝の旨「杉浦殿」に伝声を依頼。〕-1枚-

21

ポール.I.セマシェフスキイ ロシア.クリエール号艦長より函館知事宛願状(英文)
1874.01.07

○国有林1本伐採許可願
〔ウラジオストークから函館までの航海の途中、事故で流出したトップマストと同長の樹木。〕-1枚-

22

エラギン海軍大尉より日本政府函館出張所宛航行許可願
函館 1874.12.11

○日本船玄武丸に乗船許可願
〔玄武丸に乗船し横浜までの航行。航行途中の寄港地には上陸しない。〕-1枚-

23

ロシア司祭アナトーリイより開拓使宛航行許可願
函館 1874.12.12/1874.12.24

○日本船通齋丸に乗船許可願
〔通齋丸に乗船し江戸までの航行。開港以外の港では下船しない。〕-1枚-

24

横浜ロシア帝国領事館ローゼン男爵より函館知事閣下杉浦誠宛書簡
1875.01.21

○スクーナー「ナデジュダ号」競売について
〔競売時函館居住外国人立合者につき電報にて申越しのこと不都合。替りに部下役人の任命を依頼し競売結果の通知を併願。〕- 1枚-

25

司祭アナトーリイより宮木経吉宛手簡
1875.01.17/1875.01.29

○開拓使へ出向説明について
〔1月29日付け手紙受領。出向して必要な説明をしたいので都合を知らせて欲しい。〕-1枚-

26

ロシア司祭アナトーリイより宮木経吉宛手簡
函館 1875.01.21/1875.02.02

○旧ロシア人病院跡地貸与経過及び正式譲渡依頼について
〔「1月29日付けの手紙」への返信。旧ロシア人病院跡地貸与請願の経過を説明し、 改めて開拓使に正式譲渡手続きに伴う官吏の派遣を依頼〕-2枚-

27

ロシア司祭アナトーリイより宮木経吉大主典宛書簡
1875.01.25/1875.02.06

○山中友伯の亡娘琴路の埋葬について
〔キリスト教信者の遺体埋葬を函館の仏教僧が拒否したため、 アナトーリイの借用地117号に埋葬したこと及びこの土地貸借に問題があったことなど。〕-2枚-

28

ロシア司祭モイセイ.カスタナエフより開拓使宛受領書
1875.02.05

○開拓使よりアナトーリイ宛書簡の受領
〔アナトーリイは不在の由。〕-1枚-

29

函館ロシア帝国領事館A.E.オロロフスキイより函館市知事杉浦誠宛書簡
長崎 1875.02.10/1875.02.22

○領事館業務とロシア人墓地拡張について
〔函館の領事館はまだ廃止されていない、オロロフスキイ長期不在中も領事館の仕事は継続。 函館ロシア教会の長で修道司祭アナトーリイ神父からロシア人墓地の不足による埋葬場所欠如の申出に基づき、清掃・ 柵の費用ロシア側負担による墓地の拡張依頼。〕-3枚-

30

ロシア司祭アナトーリイより宮木経吉宛書簡
函館 1875.02.19/1875.03.03

○117号借地請願が受け入れられたことへの礼状(資料27参照)-1枚-

31

ロシア司祭アナトーリイより大主典宮木経吉宛書簡
1875.04.01/1875.04.13

○領事館の土地測量に官吏派遣の照会に対する返書
〔日曜日以外午前9時から12時、午後1時から4時まで好都合及びアナトーリイは午前中在宅のこと。〕-1枚-

32

ロシア司祭モイセイ.カスタナエフより開拓使宛書簡
函館 1875.04.15

○横浜までの通行許可書給付依頼
〔4月16日江戸に向かう日本船で函館を出発、途中外国人に未開港の地に寄港の際も日本の法に従って下船・ 上陸しない旨誓約。〕-1枚-

33

ロシア領事館司祭A.ニコライより外事係官宮木経吉宛報告
1875.08.05

○横浜へ出発の件
〔8月5日太平丸で出発を通知。〕-1枚-

34

エウフィミイより外事係官宮木宛報告
1875.08.05

○拾得物の届書
〔8月5日朝、ロシア領事館庭で発見、所有者不明の鋳鉄製やかんと箱一個〕-1枚-

35

ロシア司祭I.工ウフィミイより開拓使九等出仕長岡照止宛願書
1875.08.14

○拾得物の返却依頼
〔8月10日届出のロシア領事館庭で拾得した金子36銭7厘5毛を元所有者カワサキタメに返却願。〕-1枚-

36

ロシア司祭アナトーリイ.チハイより開拓使宛報告
1875.08.09/1875.08.21

○山中友伯娘モモヨほか居住について
〔モモヨはアナトーリイ・チハイの屋敷内に居住しているが、石田茂三郎、小野帰一の両名は既に居住していない旨報告。〕- 1枚-

37

ペルシン&シビリャコフ海運商会支配人ワレリアン.エゴーロフ. モケーエフより日本政府高官長岡照止宛願書
松前島 寿都港 1875.11.01

○艀等の会場移送願
〔松前から陸路で函館へ向かうモケーエフ、函館からニコラエフスクまで艀とその付属物を送付するために、 運送費用受領時負担を条件に寿都から函館への艀等の海上運送に助力を依頼。〕-1枚-

38

ペルシン&シビリャコフ海運商会支配人ワレリアン.エゴーロフ. モケーエフより日本政府高官長岡照止宛請願書
松前 1875.11.01

○沈没船ナデェジュダ号救助にかかることについて
〔ベルシン& シビリャコフ海運商会所有の沈没船ナデェジュダ号から松前海岸で救助の乗組員13名の函館への移送と宿泊確保の依頼と移送費、 滞在費、諸経費は、信用状あるいは上海からの為替で函館到着次第支払うこと請願。〕-1枚-

39

ペルシン&シビリャコフ海運商会支配人ワレリアン.エゴーロフ. モケーエフより開拓使函館支庁三等出仕杉浦誠宛請願書
函館 1875.11.07/1875.11.19

○借用金額
〔300円の借金と返済は横浜で一覧払いを請願。〕-1枚-

40

ペルシン&シビリャコフ海運商会支配人ワレリアン.エゴーロフ. モケーエフより函館知事閣下杉浦誠宛請願書
函館 1875.11.07/1875.11.19

○ロシア紙幣460ルーブル換金及び至急横浜出発の指示願
〔スクーナー船・ナデェジュダ号の沈没で所有物の一切を流失、そのため衣服、電報、住食費、 ロシア帝国領事館所在地横浜までの移送費用など多額の出費を賜っているので、 ロシア紙幣460ルーブルの受理及び至急横浜へ出発の指示をだしていただきたい。 移送費用は横浜での支払い並びに日露通辞として東虎雄氏の派遣を請願。〕-1枚-

41

ロシア司祭I.エウフィミイより外事係官宮木経吉宛願書
1875.11.10

○横浜への出発報告並びに通関証明書発行依頼
〔11月12日兵庫丸で横浜へ出発、函館税関で荷物の通過のための証明書。〕-1枚-

42

横浜ロシア帝国副領事ローゼン男爵より函館知事宛書簡
横浜 1875.12.01/1875.12.13

○難破ロシア商船「ナデェジュダ号」船長及び乗組員の横浜移送時添付書翰への返状
〔船長・乗組員の衣食住及び横浜までの移送費一切の経費は、 ロシア政府が植民地省を通じて近日中に弁済することの報告及び難破船の乗員に対する厚遇に深謝し横浜までの移送時に受けた援助に対する礼状。 〕-3枚-

43

K.ストルーヴェ書翰<宛先不明>
東京 1876.04.02/1876.04.14

○1月12日付書翰への返書
〔函館のロシア領事館借地料金支払の手配及び今夏訪函の予定。〕-1枚-

44

ロシア司祭アナトーリイより届書<宛先不明>
函館 1876.08.14/1876.08.26

○日本人居住届
〔1876年8月14日時点におけるアナトーリイのもとに居住する日本人4名及びアナトーリイの学校に居住する日本人の子供3名。 夫々氏名、身分、出身県、年齢。〕-1枚-

45

海軍中尉<フサードニク艦長>より報告<宛先不明>
函館 1876.10.11

○ロシア軍艦フサードニクより上陸の水兵3名捜索要請のこと
〔10月10日散歩目的で上陸させた水兵のうち、イワノフ、ムトーフキン、リャフゴフの3名が未帰艦につき、 艦長が警察に捜索及び水兵を帰艦させることを要請。〕-1枚-

46

<エス.トラフテンベルク>より岩村判官、得能権判官、杉浦権判官宛書簡
1878.08.15/1878.08.27

○A.オロロフスキー着任並びに任務遂行着手報告
〔領事館の管掌を任命されたオロロフスキーが14日着任。〕-1枚-

47

ファジェイ.ノヴァパーシンより願書<工業局長長谷部辰連宛>
1879.10.01

○期限前の契約破棄とコルサコフ哨所への送届願
〔契約期間満了後交通途絶につき滞在延長可否の問合せに対し、家庭の事情で不可につき契約の破棄と哨所への送届を要望。〕- 1枚-

48

ロシア司祭アナトーリイより書簡<宛先不明>
年次不詳 火曜日 08.28/09.09

○巻タバコ用紙届書
〔手元の巻タバコ用紙全てを送付する。これで底をついたので役立ちそうな薄紙を数枚同封。〕-1枚-

49

ロシア官吏Ja.チハイより書簡<宛先不明>
年次不詳 08.29/09.10

○江戸行き通行許可書下付願
〔日本汽船太平丸に乗船、天候不良時は別として、外国人に不開港の港で下船しないことを約束。〕-1枚-

50

ステバン.ムルジンより届<宛先不明>
年月日不明

○役所出頭につき届
〔書簡落手につき直ちに出頭する旨。〕-1枚-