函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

シベリアと本格的交流を! ―北海道の未来のために―

2012年4月24日 Posted in 会報

石原誠

 「赤坂憲雄『東北学へ』(作品社)を読んで感動した。北海道学アイヌモシリ学と考えてもすっきりしない。まして東北学なんて...と思っていたが柳田国男の東北の部分を完璧に批判し見えてきた東北学。...この度の提唱は困難な時代でも、努力と新しい発想で切り抜けられる希望をわたしに与え、又衝撃を受けた」。
 以上は一昨年11月7日付け『図書新聞』より拙文の引用。そして昨年4月には赤坂さんの勤める東北芸術工科大学(山形)の中に東北文化研究センターを設立。『この東北こそ、日本に残された最後の自然―母なる大地―。現代文明の過ちを克服し人間の尊厳を取り戻す戦いの砦』と設立宣言の一部で高らかに述べている。
 大学が全面協力、山形市・山形県も行政側として総力をあげて一肌脱ぐ。また、民間で支える年会費1万円の東北文化友の会も発足10ケ月で900名を越えたという。そして同センター発行(作品社発売2000円)の300頁を越える、『東北学へ』もすばらしい内容で願調に既に2号まで出している。
 北の隣り、サハリン・クリル研究会の『郷土研究紀要』は1990年創刊以来年4回発行を持続。旧ソ連が崩壊し大変な時代の中で立派だ。わが北海道は『北海道地方史研究』に続く『北海道史研究』が40号で終刊してから12年経つが、今後共北海道史の総合誌発行の予定さえなく反省したい。
 昨年『サハリンの歴史』(ヴィソーコフ編)の日本語訳が板橋政樹さん訳により北海道撮影社から刊行。7年前筆者は「今度はサハリン住民の手でステファンを越えるサハリン史を期待したい」(『彷書月刊』l993.12「ステファン著『サハリン』を読む」)と書いたが、その2年後のサハリン住民の労作をこの程ロシア語から全訳した意義ははかりしれず板橋さんに感謝だ。
 月刊『地理』1999.7はカムチャッカを特集。コリャーク語専攻の北大文学部大学院の若い永山ゆかりさんは1994年から3年同地で教鞭をとったらしく、今後共どんどん環オホーツク方面へ住みつく北海道人が増えたらと思う。
 秋月俊幸さんは『日露関係とサハリン島』(1994筑摩書房)、『日本北辺の探検と地図の歴史』(1999北海道大学図書刊行会)の2作を続けて発表。左近毅さんは『シベリアの流刑制度』全2冊(ケナン著1996法政大学出版会)を英語から全訳して発表。早くて年内に同じくケナンの『シベリアのテント生活』全訳も出る予定という。両氏共にすぐれた仕事と思う。
 毎日、サッポロの郊外ツキサップのわずかに残された自然の中を通り仕事場に向かう。何本かの白樺...。ほとんど書物と、わずかな映像でしか見たことのないシベリア。その広大なシベリアの自然を空想する...。人も自然の一部。いつの頃からかわたしの心は日本でなくシベリアヘ。
 北海道は環オホーツクの南に位置。いつの日か北海道とシベリアがダイナミックに連繋する日を夢見る。この地は10年程前までは市町村の中では釧路叢書を出し続けた釧路市がリードしていたと思う。その後低迷している北海道の中で、函館の活躍が目立っていると思う。博物館・図書館・文学館・北方民族資料館・北方歴史資料館・市史編さん室・当研究会...。青函連絡船廃止以降の経済崩壊という情況だからこそ文化的努力をされていると思う。日露(北海道シベリア)交流史、北海道史、サハリン・千島・カムチャッカ・沿海州・東シベリア・旧満州の先住民族史と移住史...。また各民族接触等どれも魅力的な題材かと思う。
 かつて函館人は開拓使のあった札幌方面を奥地と下に見た。あれから130年...。ただ人口と経済力だけでかなり問題のある"札幌"を反省させるためにも今度は別の視点で函館発の全道規模の文化を展開させて欲しいと願う。幸い当研究会会員名簿をながめると、各分野の人々が見事に揃っている。当会の今後に、今まで以上に心から期待したい。

「会報」No.15 2000.6.15