函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

函館・ロシア極東交流研究会と市民セミナーに参加して

2012年4月22日 Posted in 会報

永野弥三雄

 クラスノヤルスクで行われた日口首脳会談より数日後の11月7日、8日に函館で開催された表記のセミナーに参加した感想を述べます。
 まず、報告者・パネラー等の紹介につきましては、紙幅の都合で割愛せざるをえません。なお清水恵さんが退引ならない事情で参加されませんでしたが、報告書には紙上参加の予定と聞いています。
 研究者相互のコミニュケーションは、荒井信雄氏の熱気あふれるばかりの名通訳で何の支障もありませんでした。
 さて、この研究会・セミナーの目的は「ロシア極東と函館の歴史」といった限られた問題設定を一歩踏み出して、「函館はどうしたらロシア極東との交流拠点となり得るか」(鈴木会長の開会の言葉)ということでしたから、各発言者の豊富な内容を大きく歴史と現状および課題と提案に分類して、強く印象に残ったことをロシア研究者の報告を中心にして紹介します。
 Ⅰ歴史:A・T・マンドリク氏は、「ソ日・ロ日漁業関係と函館」がテーマで、19世紀後半から20世紀の30年代にかけての両国による北洋漁業発展を概観しました。そのなかで、日魯漁業(株)がソ連に対して多額の権利料を支払っていたこと、またソ連最初の蟹工船「カムチャツカ号」が函館の日魯造船所で昼夜兼行で改造されたことをあげ、「函館というまちは両国間にある肯定的な側面を積極的に果したし、こうした過去における経験から今後、相互にとって互恵的関係を発展させ得るだろうが、すでに研究者の交流はそのあらわれである」と結びました。これに対し鈴木旭会長は、「露領漁業は対立と協調の関係であったし、現在の日口関係はうまくいっていないが、今後協力関係存立の根拠を見出していこう」とコメントしました。
 V・V・コジェブニコフ氏は「ウラジオストク市と函館市の関係」と題して、「ロシアは日本の裏口からやってきたので、函館とは裏口同士のつきあいだ」と話はじめ、エリートが公式に会う会談ではなく、今日の会合のような庶民同士のつきあいの方が貢献が大きいとし、また日口両国間の差異が大きいというが、精神文化の面では共通性があると指摘しました。そして、ウラジオストクと函館の二都市の成立と発展について12の共通点をあげ、「両都市の交流の規模を私達の希望する程度まであげたい」と結びました。
 原暉之氏のコメントでは、さらに両都市の共通点があげられ、15点まで数えられる頃には、なごやかな雰囲気が会場にあふれた次第です。
 2日目の原暉之氏の報告は、明治期に「ウラジオストク新聞」の通信員として活躍した小島倉太郎が日ロ両国間の架け橋の役割を果したことを明らかにしました。
 Ⅱ現状と課題および提案:1日目のL・L・ラーリナさんは、「ロシア極東南部の日本人観」がテーマでした。今年の7月、8月に「沿海州」で、10月にはウラジオストクで行われた世論調査(811票回収)の結果を詳細に説明しました。これは2年前の交流史シンポジウムの際の報告に続くものですが、この2年間の日本人に対するイメージには殆ど変化がないそうです。最も親しみある国はアメリカと日本です。ロシア人からみた日本人像は勤勉(66%)、礼儀(52%)、責任感(36%)が多くすべての年齢層、職業層に共通とのことです。そして、日本に対する関心は強まる傾向だが、日本の情報は限られているから、これが十分に満たされていないと言います。
 ラーリナさんの報告に対して藤本和貴夫氏は、総理府調査によるロシアに対する親近感の近年の数字の変化をあげて、これを北海道、日本海側でみたらどう変るかなどの問題を提起しました。
 2日目の宮本勝浩氏は、ロシア極東貿易における各国別の状況を説明し、日本は腰が引けて減少していることを明らかにしました。ロシアは大国だから少々の外資では影響はでないが、投資の乗数効果は2倍以上だろうと推定します。函館はサハリンとアジアとの通過点として緊密な関係を結び、かつての大阪のように繁栄してほしいと結びました。
 続いて今井孝司氏は、函館とロシアとの現在のかかわりには、姉妹都市、定期航空路、極東国立大学、領事館分館のあることをあげ、サハリン石油開発後方支援基地を目指して市が活動していることを明らかにしました。
 ところで、村上隆氏は肯定的に話をしたいし、水をさすつもりはないがと前置きした上で、サハリン大陸棚の開発を地域レベルでみた場合、参加できる程度はどうなのかを地図と数字を掲げて説明しました。後方支援基地となるためには、人と物の動きで考慮すべき点は7点((1)雇用の主体はロシア人(2)賃金、物価の低コスト(3)輸送の利便性(4)外国人技術者の休息の場所(5)税関機能(6)修理基地機能(7)ロシアの資金不足)あると指摘しました。そして函館が観光、保養基地として期待できることを示しました。
 次に輪島幸雄氏は相手側の論理で状況判断することの必要を説き、稚内、新潟、富山などにくらべて、函館は情報収集、経済交流の面で立ち遅れていることを指摘し、函館には施設が必要だと強調しました。
 2日目にサハリン近現代史料センター所長のM・C・ヴィソーコフ氏は、二つの提案をしました。第1は歴史の共同研究です。これまでのロシアの歴史研究は多くの矛盾を含んでいたが、漸く誠実に調査、研究しようという空気が生まれ、国内の文書館や図書館の閲覧は自由となり、海外の研究者との交流が盛んとなった。そして、サハリン、クリル諸島と北海道の歴史には共通点があるから、共同研究、共同執筆しようと提案しました。         
 第2は領土問題解決の方法についての研究提案です。領土問題の解決に関する7つのシナリオを提示しましたが、解決に至るシナリオは次の3つです。(1)ロシアの構成主体が変り、シベリアがウラルから離脱した場合。(2)ロシアの経済改革が成功して、民主主義体制が確立した場合。(3)日本の経済が破綻し、アメリカとの安保が崩壊してユーラシア同盟ができた場合。
 一方で解決できないシナリオは、(1)ロシア経済は危機から脱出したが長期停滞の場合(2)経済政策の失敗でロシアが深刻な経済危機の場合(3)ロシアに内戦が勃発した場合(4)日本の政治、経済に長期的に混乱が生じた場合、としています。そして、この領土問題の解決方法についても両国の研究者で考えてみたいと提案がありました。
 秋月俊幸氏はこれを受けて、歴史の共同研究は是非やりたいとした上で、ロシアの歴史学が現在大きく変ってきていることを歴史的に説明しました。しかし第2の提案の領土問題解決方法の研究は難しく、タッチしたくないと言明しました。
 最後に佐藤経明氏の総括は、ロシア経済は危機を脱出したが長期的停滞が続くと思う。サハリン開発における極東ロシアと函館との提携は距離もあり容易ではないだろう。函館のもつ過去の栄光と財産は、このことには役立たないのではないかとして、函館のなすべきことは、サハリン、クリル、ロシアの正しい歴史を共同でつくることではないかと締めくくりました。
 以上のように2日間にわたる研究会とセミナーは皆川修吾氏の司会により充実した内容をもって終了した次第です(報告者等の発言についての文責は筆者)。

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「会報」No.6 1998.1.8