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在札幌ロシア連邦総領事館主催の展示会を見学して

2019年3月18日 Posted in 会報

駒井惇助

 平成29年8月、函館市地域交流まちづくりセンターで開催された掲題の展示会を見学した際、展示中の数枚の写真パネルを特別な感じをもって見入りました。その写真は、昭和38年(1963)夏、日ソ間で締結した「貝殻島(かいがらとう)昆布採取協定」の発効を記念して、当時の駐日ソ連大使ヴィノグラードフ氏と大日本水産会会長高碕達之助氏が根室を訪れた時の写真です。

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左:左端が高崎氏、一人置いて写真中央がヴィノグラードフ大使
右:貝殻島で採取した昆布を見分しているところ。写真中央大使の右が高崎氏、一人置いて左側が川端氏

 その写真には、私の旧知である当時の根室市長西村久雄氏(故人)と根室漁業協同組合長川端元治氏(故人)も写っており、とても感慨深い思いで拝見しました。  
  ここで、「貝殻島昆布採取協定」について説明いたします。根室市の最東端にある納沙布(のさっぷ)岬から、わずか3.7㎞のところにある北方領土の貝殻島は、燈台が一つあるだけの小さな無人島ですが、戦前から納沙布岬付近の漁民の重要な昆布漁場になっていたところです。しかし、北方領土の島々が第二次世界大戦終結後、ソ連に占領されてからは、ソ連の監視船にかくれて貝殻島周辺の海に出かけ、昆布を採り、ソ連側に見つかって家族の目の前で拿捕されるという光景が幾度も繰り返されました。
 そこで、このような悲劇を防ぐため、昭和38年(1963)6月、大日本水産会の高碕達之助会長などの努力により、漁民が夢にまでみた昆布漁の安全操業がこの協定でやっと実現したのです。これは、大日本水産会とソ連国民経済会議付属漁業国家委員会との間に結ばれた貝殻島付近のコンブ゙漁の安全操業についての民間協定ですが、この協定に基づき、昭和51年(1976)まで、昆布操業は無事に続けられ地域の漁民の生活上の大きな支えとなっていました。
 ところが、昭和52年(1977)からの協定継続交渉にあたって、ソ連側から領土問題の基本にかかる条件を提示され、交渉は成立しないまま中断されてきました。北海道水産会は、沿岸漁民の生活を守るため協定の再開について努力を続けた結果、ようやく昭和56年(1981)9月、5年ぶりに再開されました。
 このように、北方海域の内、部分的ながら漁業の安全操業の願いは実現していますが、漁民達は、もっと広い海域での安全操業を望んでいます。
 「貝殻島昆布採取協定」は現在、ロシア連邦漁業庁と北海道水産会との間で締結されて、毎年継続して昆布採取操業が行われており、まさに日本漁民のための日ロ友好のあかしと言えます。
 なお、納沙布岬には、協定成立に尽力された高碕達之助氏*の功績を讃える立派な顕彰碑が建立されています。

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*高碕達之助(1885~1964)
 東洋製罐創立者
 満洲重工業開発株式会社初代副総裁(後に総裁)
 岸信介内閣 通産大臣
 昆布採取協定締結時は衆議院議員

 参考までに、2017年の根室沖合・貝殻島区域の昆布漁業の操業条件は、以下のとおりです。
(1)操業隻数:240隻(前年241隻)
(2)操業期間:6月1日~9月30日(前年同様)
(3)採取量:褐藻類3,892トン(前年3,862トン)
(4)採取権料:90,582千円(前年90,268千円)
(5)機材供与:3,500千円(前年同様)

 (択捉島水産会代表管理役) 

「会報」No.39 2018.6.30  特別寄稿