函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

ロシア文化に触れて

2012年4月26日 Posted in ウラジオストク訪問記

久保泰

 函館空港から僅か2時間弱。一番近いヨーロッパ。長谷部氏からお誘いを受け今回の旅に参加させていただいたが、何せ国外に出るのは初めての経験であり、見るもの聞くもの珍しく、同行のみな様とも楽しく何よりの体験となり、深く感謝している次第です。
 ロシア極東地域の中で最大で、軍港であり近年ようやく開放された都市、シベリア鉄道の始発の街というイメージと、昨年夏、降りしきる雨の中をわざわざゴロウニン幽囚の地を訪ねて下さった博物館の方々が勤務する街という程度の知識しか持ち合わせていなかったのである。微かに、シベリア出兵の舞台となったようだと歴史の時間に習った記憶はあるものの、大正時代には数千人の日本人が住む街があった事は恥ずかしながら訪問直前まで知らなかったのである。
 そんな程度の予備知識だったが、到着して何より驚いたのは凄まじいばかりの車の大洪水と路上駐車。日本の港から運ばれた中古車がここへ運ばれていたのかと思わず納得し、日本語の商品名の入った車を見つけて懐かしさを感じた。信号機は見たかぎり幾つあっただろうか。幸い交通事故は見かけなかったものの、路面が凍結する季節には一体どんなことになるのだろうか。長谷部氏によれば、訪れる毎に街の様子は大きく変貌しているそうだから、インフラ整備の発展によって今後急速に近代化していくにちがいない。
 さて、訪問の主目的である博物館関係者との交流、施設などの見学だが、何より強く感じたのは博物館と市民社会の関わりの違いである。ロシアの人々はもちろん「学ぶ」目的に加えて、市民が博物館で楽しむという雰囲気が随分強いのではという印象を持った。市内には娯楽施設的なものが少ないようだが、映画館や劇場で楽しむのと同様にごく気軽に入館し、楽しんで学んでいるように見えた。単に娯楽が少ないから博物館を訪れるものではあるまいし、国民性の違いで解釈できるようなことでもなさそうだ。短時間の訪問では伺い知れなかったが関係者の日頃の努力が大きいように思えた。
 博物館が主として女性スタッフによって運営されていたが、ロシアでは一般に女性の職員が多いとのこと。聞けば待遇との関係でそうした実態になっているらしいが、それはともかくとして、和らかい雰囲気の施設づくりには大いに役立っているにちがいない。どうも博物館に対するものの考え方が日本とかなり異なるのではあるまいか。このへんをもう少し聞いてみたかったし、我々も学ぶべき事柄は大いにありそうだと感じた。
 現地通訳・案内はどうなっているのだろうと思っていたが、若い通訳諸氏の的確な案内や細かな心遣いには感心させられた。と同時に単身異郷の地に飛込み、苦労もはかり知れないと思うが、将来日ロの懸け橋の一端を担うであろう彼(彼女)らの若さと行動力に羨望を覚えたのは私だけではあるまい。
 極東大学の図書館を見学させていただく機会があったが、日本関係の文献では近年刊行されたものが以外に少ない印象を受けた。日ロ相互の友好・理解を今後より一層深めるためにも、関係文献の充実は重要なことと思うが、何かよい方法はないであろうか。
 遠いというイメージを持っていたが、道々に生えている雑草も北海道とそう違和感は感じなかったし、ノハナショウブの咲いている景観は道東か道北あたりと錯覚するほどであった。松前城内に近年とみに増えてきたコシカギク(カモミールに似た雑草)の故郷が沿海州地方と分かり、これも一つの収穫であった。
 昭和40年代の曾ての日本を見る懐いの街だったが、もし機会があるならば雨に悩ませられない季節に再訪してみたいものである。