函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

今ふたたびのウラジオストク

2012年4月26日 Posted in ウラジオストク訪問記

長谷部一弘

 ウラジオストク市建都145周年記念「ウラジオストク友好親善の翼」文化交流団の一員として参加したわが函館日ロ交流史研究会一行7名は、2005年7月1日、函館空港からウラジオストク航空チャーター機で一路ウラジオストクへ。
 ほとんどの会員にとってはじめてのウラジオストク市への訪問であったが、事前の現地連絡など倉田、奥野両会員の周到に準備された滞在スケジュールにより予想以上の成果を収めることができた。
 今回の研究会の具体的な交流内容は、2002年に姉妹博物館として提携された、アルセニエフ博物館と函館博物館との博物館交流事業への支援参加と日本センター附属日本文化同好会との意見交換であった。とりわけ、博物館交流事業の一環として開催されたアルセニエフ博物館での展覧会では、博物館コーナーのほかにウラジオストク、函館姉妹都市交流コーナーに加え、研究会として企画、調査した成果を「函館にみるロシアの面影」コーナーで展示、紹介することができたことはアルセニエフ博物館およびウラジオストク市民との交流のはじめの一歩として非常に意義深いものとなった。また、70名ほどの会員を有する日本文化同好会との交流会では、指折り数えて14曲にものぼる同好会会員等の混声合唱の大歓迎を受け、当初予定の交流史研究会会員の発表を割愛せざるを得ないハプニングのあった中、限られた時間の中でともに軽食をとりながらの研究会の紹介や自己紹介によって友好を深めることができた。
 時を同じくして、日本センターでは、戦前東京の神田ニコライ堂神学校を拠点に柔道を修練し、ウラジオストクをはじめロシア各地で柔道の指導にあたった柔道家オシエープコフにまつわる柔道の展覧会を開催中で、案内してくれたセンター職員のオリガ女史は、「この展覧会は、函館と非常に関係があります。」と、昨年アルセニエフ博物館職員と同行した女史が来函の際に訪れた福島町の横綱記念館の印象からヒントを得てこの展覧会を企画したことを話され、改めて相互交流の成果が多様なかたちとなって実現し、多くの市民に受け入れられていることを実感した。
 また、ロシア極東大学東洋学部では、同大学教授のゾーヤ・モルグン女史、ロシア科学アカデミー極東支部歴史・民族・考古研究所研究員のヴォリス・アフォーニン氏など交流史研究会とゆかりのある方々にも再会することができ、今後の研究会への情報提供の協力や寄稿等承諾等をいただいた。特にウラジオストクにおける旧日本人街など日ロ間の歴史、文化に造詣の深いゾーヤ女史には、降りしきる雨の中半日一杯、浦潮本願寺跡やデンビー商会建物跡等の今に残る旧日本人街を案内していただき、かつて多くの日本人が夢を抱き居住した古き佳き時代のウラジオストクの面影を垣間見ることができた。
 今回の研究会としての訪問交流により、日本ひいては函館との歴史的関係を積み重ねてきたウラジオストク市の原風景とそこに住む市民の思いに直に触れられる絶好の機会を得、これらの貴重なステップこそが今後の相互の共有財産として確実に継続する力になりうるものであるとその意を一層強くした。
 このように多くの成果があった中で、アルセニエフ博物館研究員スベトラーナ・ルスナク女史のお誘いを受けながら、図らずも市街を走る夢のウラジオストク発函館行きの「博物館電車」に乗り遅れてしまったたった一つの心残りを取り戻しに、いつかまたきっとウラジオストクへ行くのだと密かに自分に言い聞かせながら5日目の帰路についた。