函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

ウラジオストクの都市と建物

2012年4月22日 Posted in 会報

玉井哲雄

 ウラジオストクのロシア科学アカデミー極東支部極東諸民族歴史・考古・民族学研究所で開かれた国際会議(内容は会報1号の沢田和彦さんの報告を御覧ください)に、函館日ロ交流史研究会のグループの一員として参加し、念願であったウラジオストクの町を実際に歩いて見ることができました。函館との比較という観点からウラジオストクの都市と建物について見たこと、そして考えたことの一端を簡単に報告させていただきます。
 ウラジオストクは都市としてはかなり大きいのですが、函館西部地区と雰囲気はよく似ているなというのが第一印象です。山が迫った場所にある港湾都市で坂が多いという共通点はよくいわれていますが、広い街路が整然と通されて路面電車が通り、公園のような空地が多くて広々としているという点も忘れてはならないと思いました。これは城下町に代表される日本の都市や、中世以来のヨーロッパの諸都市とは異なった、近代的な開発ないし計画によってできあがった都市としての共通性を示していることになります。
 建物を見ますと、スヴェトランスカヤ通りを中心とする表通りには、どっしりとした煉瓦造で3階以上の建物が並んでいて壮観であり、建築様式としても多彩であることに驚かされました。例えば、中央郵便局は本格的な西洋古典様式で建てられているのに対して、グム百貨店の外観は西洋古典様式を基調としているものの、内部に入るとロシアのビザンチン様式を基礎に、19世紀末に西欧で流行ったアールヌ-ボー様式の飾りが施されているという具合です。これらの多くは革命前の20世紀初め頃に建てられたものですが、革命後の建物にも実に様々な様式があることもわかりました。函館では1921(大正10)年の大火後に建てられた3階建てが連なる銀座街に、西洋古典様式の一つであるバロック様式とみられる装飾がありますが、ウラジオストクに比べればはるかに簡素です。ただ、20世紀に西欧から離れた地に開発された二つの都市の建物に、どのような意味でわざわざ西欧の様式が用いられたのかという問題は比較検討してみる価値がありそうです。
 また表通りから一歩裏手にまわると、かなり古そうな木造建物もかなり残っています。これらは函館の木造建物ともよく似通った雰囲気であり、その様式がウラジオストクという地域独自のものなのか、広くロシアの民俗建物の系譜の中で理解できる様式なのか、函館に特徴的な和洋折衷様式の成り立ちとの比較からも興味深い問題であると思いました。
 ほぼ同時期に、ヨーロッパからみて辺境である場所に建設された港湾都市であるウラジオストクと函館ですが、その建物、そしてその都市景観を丁寧に比較・分析する事によって、二つの都市の特質をよりあきらかにできる手がかりは十分に得られそうな気がしました。次の機会にはもっとじっくりと時間をかけて見たいと考えています。

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「会報」No.2 1996.11.30