函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

多賀丸漂流民について記録されている日露関連資料について

2023年5月 6日 Posted in 会報
工藤 朝彦

【ロシア側】
(1) 「レクシコン」
 ① 「ロシアの太平洋進出と日本との最初の接触」(ドイツで発表されたM・ドストエフスキー教授の論文、1930年) *1963年10月4日、ドイツのラミング教授が村山七郎教授に寄贈した論文(村山七郎教授が全訳されたらしい)
 ② オルガ・ペトロワ女史(第25回国際東洋学者会議モスクワ大学1960年)
(2) 「1772年ロシア国旅行記」(ドイツ系学者ゲオルギ「パラスのシベリヤ調査に同行」、ドイツ語 ペテルブルグ1775年刊)   
(3) 「現在イルクーツク市にいる日本人たちの知識について」(ミハイル・タタリノフ:航海学校の校長、この学校に日本語学校が付設された)
(4) 「1697年から1875年の露日関係」(ソ連の日本近世史研究家のファインベルグ女史:中央国立海軍アルヒーフ海軍参与会記録の徳兵衛漂流資料などに基づいて書かれたもの)
(5) 多賀丸漂流民自身が書いた二つの文書(M・ドストエフスキー教授の上記論文中に、「第1の文書は、ロシア語と日本語とで書いた数詞といくつかの熟語を集めたもの、第2の文書は、会話集で日本語が日本字とロシア字とで書いてある。
  イルクーツクの日本語学校とヤクーツク日本語学校(次いでイリムスクに移る)が統合された。1761年の以後に書かれた文書で、それぞれに漂流民5名の署名あり。両文書とも最後の空白のページにバックマイステルの手で、(パラス教授によって入手)と書き込んである。この小さな言語資料の編さんは多分バックマイステルの創意によって行われたであろう。彼は各国学者に対し出来るかぎり凡ての言語の見本を送ってくれるよう依頼したのだった。」しかし、この二つの文書は1965年時点では所在不明、村山七郎教授は、多賀丸漂流民が書いたものであるので、イルクーツクにも存在していたはずと言っている)
 *バックマイステル(1730年~1806年)、エカテリーナ2世の命で全世界言語の比較のため、1773年に数詞の他21の短文を当時知られていた凡ての言語で表現する計画をし、資料兎集への協力を各国の学者に呼びかけた。パラスのシベリヤ調査の時、バックマイステルの方法で集めたのが両文書であると思われる。(村山七郎)
 *それぞれの資料の概要については、今後発刊予定の拙著『青森とロシアの交流史』で述べていますので、割愛させていただきます。

【日本側】
(1) 環海異聞の第3巻(仙台藩士の大槻玄沢と志村弘強、1804年)
(2) 蝦夷草紙(最上徳内、1791年)
(3) 通航一覧(徳川時代からの対外関係の記録)
(4) 原始慢筆風土年表の上(村林源之助、青森県大畑町1628年~1817年の出来事)
(5) 佐井村元村長渡辺正吉家に伝わる過去帳→徳兵衛の戒名→徳兵衛の墓石発見

 その後の多賀丸の軌跡については、1997年10月に青森の学術調査隊(工藤睦男弘前大学名誉教授、渡辺隆一氏(徳兵衛の子孫)、大石健次郎氏(元佐井村公民館長)、他)がイルクーツク市を訪問し、資料収集と日本語学校跡地を訪ねた。今後、その成果を紹介していきたい。

《慶祥丸漂流民の年表(概要)》
【1803年】9月
慶祥丸(下北半島佐井村の継右衛門が船頭、乗組員13人)青森県脇野沢から出帆し、臼尻村〔※〕の塩鱈を積んで江戸へ回船の途中、嵐で遭難。カムチャッカに漂着。
【1804年】9月
カムチャッカ半島ペトロパウロフスクで石巻若宮丸漂流民の善六と出会う。
【1805年】6月
慶祥丸漂流民6名、ペトロパブロフスクを脱出
【1806年】7月27日
択捉会所があるシャナに送られ、身柄が南部藩に引き渡される。
択捉島で越冬する。 
【1807年】4月24日
箱館に到着、6月3日
箱館奉行にて「漂民口書(函館市中央図書館蔵)が作成され、4年ぶりに故郷の牛滝村に帰った。
継右衛門らが無事帰国して、漂流中の取調べの中で口上や手書きから作成したと思われる千島列島の図面が北海道大学に所蔵されている。附属図書館北方資料室にある「蝦夷諸島新図」と同じく「江登呂府嶋ヨリカムサスカ迄嶌々図」がある。
北海道南茅部町史から、「生存者として佐井村に無事帰郷を果たしたなかで、最年少だった弥内は、のちに名主に選ばれた」ことが村の稲荷神社に保存されている文化七年の棟札の文字(「當邑名主田仲弥内」)から確認できる(『南茅部町史 上巻』1987年、783頁)。

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(事務局より)
工藤会員の研究報告「青森とロシアの交流史」は、去る4月17日(土)に函館の会場からオンライン開催で実施しました。

〔※〕旧南茅部町。2004年12月に函館市と合併。『南茅部町史 上巻』は、函館市史デジタル版で閲覧することができます。
http://archives.c.fun.ac.jp/hakodateshishi/hishi_index.htm

「会報」No.42 2021.8.1 会員報告