函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

桑嶋洋一氏との思い出

2020年9月 6日 Posted in 会報

中嶋 肇

 本会会員の桑嶋洋一氏が3月2日に亡くなりました。85歳でした。会員の少ない我が会としては、誠に残念な事です。
 ところで、私が追悼文を書くことを頼まれました。彼とは特に親しいわけでもなく、何を書いたらよいか迷っている。だが、彼とは、多少関係があった。彼の息子、次男が本通中学で私の担任するクラスにいたのです。北見工業大学卒業後、現在は小田原市に住んでいる。
 ところで、桑嶋氏は北海道新聞報道部のカメラマンであった。いつの会合でも、カメラを片手に、一番前に出て、写真を撮っていた。
 彼と初めて会ったのは、ある冊子の編集をしていた時である。戦時中、出征する兵士に激励文を書き込んだ大きな日の丸の旗を掲載することになった。彼は脚立を持ち込んで、真上から写さんと四苦八苦していた記憶がある。 
 また、14年前(2005年7月)、函館市が姉妹都市ウラジオストクの建都145周年を記念して親善訪問をした時に、彼とホテルで同室になったが、毎晩、彼はカメラを調整していた。そして帰国した時、函館空港で井上市長が挨拶をした時、桑嶋氏は前へ出て、写真を撮らんとした。すると市役所の係が飛んできて、ストップをかけた。その時の彼のキョトンとした顔が印象に残っている。何故止められたか、私にもいまだにわからない。
 桑嶋氏は、新聞社にいたので、記事の裏側もたくさん知っていた。あの記事は本当はこうなんだと面白い裏話をたびたび話してくれた。また、彼はいつも最後にはロシア軍艦の大砲の話をしていた。ウラジオストクに行ったときも、ぜひもう一度調べたいと言っていた。我々には何のことか分からなかったが、訪問後に会でまとめた「ウラジオストク訪問記」で触れているので、分かった。

「会報」No.40 2019.6.23