函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

研究会の活動を顧みて

2012年4月22日 Posted in 会報

鈴木旭

 私たちの研究会は、1993年3月の発足以来今年で6年目になります。研究会発足の動機は、函館とロシア極東地方の交流の歴史を発掘するため、ウラジヴォストーク市の歴史学研究所と交流を続けることでしたが、これまで函館市とウラジヴォストーク市で毎年交互にシンポジウムを開催し、今年で6年目(ウラジヴォストーク市)になりました。これまでのシンポジウムの内容を振り返ると、配布した報告書でご承知と思いますが(一部未刊行)、各年度の報告者とテーマは次のとおりです。

1993年9月(函館)
■ロシア側:Z.F.モルグン「函館ロシア領事館報告について」、A.T.マンドリク「1880-1940年代の極東における日ロ漁業家の経済関係」、B.M.アフォーニン「日ロ関係の発展における人的交流の役割」。
■日本側:中村喜和「函館のロシア人旧教徒の生活」。

1994年9月(ウラジヴォストーク)
■日本側:鈴木旭「1907年の日露漁業協約と両国の漁業関係」、永野弥三雄「19世紀後半におけるサハリンの漁業経営について」、榎森進「江戸時代末期におけるサハリンを巡る日ロ関係」、桜庭宏「覚書 日露戦争前後における地域新聞のロシア観」、清水恵「19世紀後半から20世紀初頭の函館のロシア語学習事情」、檜山真一「日露戦中前後の日本におけるエヴゲーニイ・スパリヴィン」、沢田和彦「プロニスワフ・ピウスツキと日本」、秋月俊幸「日本人捕虜五郎治のシベリア遍歴」。
■ロシア側:S.N.イリイン「極東ロシアにおける日本語の教授」、V・V・ソーニン「北サハリンにおける日本の行政機関とその法律草案(1920-1925)」、V.Vコジェブニコフ「日口関係の形成における北海道の役割」、A.T.マンドリク「19世紀半ばから20世紀初頭の日ロ漁業関係史」、L.Ⅰ.ガリャモーバ「ロシア極東の労働市場における日本人労働者」。

1995年10月(函館)
■ロシア側:A.T.マンドリク「1920-30代のロシア太平洋地域における漁業への日本企業の投資」、V.V.コジェブニコフ「露日国境決定の歴史」、Z.F.モルグン「ウラジヴォストークの日本企業の歴史」、L.L.ラーリナ「極東ロシア人の日本人観」、B.M.アフォーニン「ロ日通商関係の現況」。
■日本側:秋月俊幸「日露関係と蝦夷地」、小山内道子「白系ロシア人の系譜と釧路における足跡」、永野弥三雄「日ロ雑居・ロシア領・日本領の各時期におけるサハリン島漁業事情」、ロシア極東大学函館校A.トリョフスビャツキイ「ロシア史や日ロ関係史を教える際の幾つかの問題」。

1998年6月(ウラジヴォストーク)
 この年は、歴史学研究所開設25周年、アカデミー会員A.I.クルシャノフ(研究所創設者)生誕75周年記念国際会議に招待され、日本側から鈴木旭、榎森進、沢田和彦、玉井哲雄、長谷川健二の5人が参加し、鈴木、榎森、沢田が報告した(内容略)。会議の報告は「世界史の文脈の中のロシア極東」(露文)として出版。

1997年11月(函館)
北大スラブ研究センターとの共催で、交流史研究会と市民交流セミナーを開催。
■研究会:A.T.マンドリク「ソ日・ロ日漁業関係と函館」、L.L.ラーリナ「ロシア極東南部の日本人観」、V.V.コジェブニコフ「ウラジヴォストークと函館市の関係」の報告。
■市民交流セミナー:(1)「サハリン大陸棚開発に伴う後方支援基地と函館」輪島幸雄(会員)、村上隆(北大)、今井孝司(函館市)、宮本勝治(大阪府立大)。(2)「函館とサハリンの交流」ではM.ヴィソーコフ(サハリン州近現代史史料センター)、秋月俊幸(北大OB)、原暉之(北大)。1998年8~9月(ウラジヴオストーク)(略―保田先生の報告参照)。

 このように、これまでのシンポジウムでは、新たな歴史的事実や問題が取り上げられ、両国間の歴史について、一定の共通認識をもつことができるようになりました。しかし、従来の交流事業では、双方の受け入れ体制や予算面の制約で、会員の皆さんの期待に十分応えられないことも事実であり、研究会の事業(会誌の発行、研究会の開催など)や会の在り方について、改めて考えてみなければなりません。
 また予算面でも、当初、函館におけるシンポジウムの開催には北方圏交流基金、函館市の助成金、及びその他機関団体の寄付金等で賄ってきました。ところが最近ではこのような形の資金調達は困難であり、予算面からも事業の再検討が必要になっています。
 因みに、これまでのシンポジウムの開催経費は、シンポジウム参加者は招待国までの交通費(例えば日本側は函館~ウラジヴォストーク間、ロシア側はウラジヴォストーク~新潟間)を負担。入国後の滞在費とシンポジウムの開催費用は招待側が負担してきました。函館で開催する場合、会の負担は、招待者の新潟から函館までの交通費と滞在費、及びシンポジウムの開催費用(会場費、印刷費等)であり、上記の財源でカバーしてきました。
 来年のシンポジウムは、函館が予定されますが、具体的な計画は立っていません。ただ来年は極東大学函館校のイリイン校長から、ロシア極東国立総合大学百年祭の行事の一つとして、共同シンポジウムの実施が提案されています(会報9号)。
 ともあれ、研究会の存り方や今後の運営について、会員の皆さんのご意見を頂ければ幸いです。

「会報」No.10 1998.12.8