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クリルアイヌ研究と市立函館博物館

2012年4月24日 Posted in 会報

大矢京右

■クリルアイヌとは
 アイヌ民族は、北海道、樺太南部、千島列島といった環オホーツク地域における先住民族である。北海道や樺太に居住していたアイヌは、江戸時代の場所制度の中に組み込まれたり、明治時代の同化政策などが行われたりすることによって、彼ら独自の文化の中に日本文化の影響が色濃く現れるようになった。また、カムチャツカ半島南端から千島列島にかけて生活していたクリルアイヌは、千島列島という日露両国の勢力が拮抗する地帯に生活していたことから、日露双方の影響がその生活文化の多方面に見られることとなった。特にウルップ島・エトロフ島間の渡航が禁止されていた19世紀初頭から中葉にかけてはロシアの千島経営の影響を直接的に受け、全千島が日本領となった千島樺太交換条約締結時(1875年)には、ロシア語を話し、ロシア式の名前をつけ、ロシア正教を信奉するなど、生活文化の隅々にまでロシアの影響が見て取れる状態であった。
 しかし当時は日露間で緊張感の高まっていた時期でもあり、その国境地域に文化的にロシアとのつながりの強いクリルアイヌを住まわせておくのは危険であるとの考え方もあったことから、主に北部・中部千島に居住していたクリルアイヌは、1884年、日本政府によってシコタン島に強制移住させられる。慣れない気候風土や同化政策の一環として日本政府により強制された慣習(衣食住に至る)は彼らを弱らせ、移住当初97人を数えたクリルアイヌの人口は急激に数を減らしていった。また、日本政府による同化政策は言うまでも無く、和人との結婚による文化伝承の断絶や、和人からの差別による自らの文化への自己否定などによって、現在に至っては彼らの文化を伝承する人はいなくなってしまったとされている。

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pic.1:1899年当時シコタン島のクリルアイヌ

■クリルアイヌ研究について
 文化を伝承している人がいないとされるクリルアイヌを研究する際、フィールドワークや聞き取り調査を直接行うことができないことから、かつての探検者や研究者らがクリルアイヌを直接「観察」してその様子を記述した「民族誌」と、彼らが実際に作成・使用した「物質文化資料(民具や考古資料)」がその生命線となる。「民族誌」は多種多様な事象をその記述者の目線で表現したものであり、クリルアイヌの文化の一端を直接捉えることができるものの、記述者の思想・立場などがバイアスとなって現れることがある。また、「物質文化資料」も、民具に関しては収集者の意図がその内容に反映され、考古資料に関しては自然環境やモノの素材により得られる資料に偏りが出る可能性がある。よってこれらの資料を相互補完的に研究することがきわめて重要であると言えよう。

■クリルアイヌ関連物質文化資料について
 クリルアイヌ関係資料のうち物質文化資料に関して言えば世界中の博物館に約500点ほどが収蔵されているが、日本国内には、東京帝国大学で助手をしていた鳥居龍蔵によって収集された民具資料82点(国立民族学博物館所蔵)や、馬場脩によって収集された考古資料194点(市立函館博物館所蔵)、また、河野常吉によって収集された考古資料30点(旭川市博物館所蔵)などその大半が存在している。しかしそれらの資料のほとんどは情報が欠落してしまっており、資料の分析・研究を困難にしてしまっているのが現状である為、まず資料の整理・分類から始めていかなければならないことが多い。
 市立函館博物館には世界中で確認されているクリルアイヌ資料の約半分にあたる222点が収蔵されており、その内28点の民具資料は千島樺太交換条約締結による開拓使の千島調査の際に収集されたものや、馬場脩による収集品、そしてその他篤志家等による寄贈品などで構成され、194点の考古資料に関してはほとんどが馬場脩の千島調査の際に直接収集されたものである。資料の数が多いのはいうまでもないが、その属性も多岐に及んでいるため、クリルアイヌ研究において比類無き好素材であると言える。しかしその世界屈指のクリルアイヌ資料の収蔵量を誇る市立函館博物館も、資料に関する情報(素材・用途・製作時期・使用時期等)が付帯しているものがほとんど無く、その為に研究が進んでいないのが現状であり、早急な整理・分類が待たれているところである。

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pic.2:クリルアイヌ関連資料の展示状況

■市立函館博物館所蔵資料の研究にむけて
 前述のとおり市立函館博物館には多くのクリルアイヌ関連資料が収蔵されているが、これらを研究するにあたっては、まず函館博物場時代に収蔵された所謂「旧蔵資料」と馬場脩によって寄贈された所謂「馬場コレクション」の2種類に大きく分類することができる。
 「旧蔵資料」は、千島樺太交換条約締結後に開拓使が行った調査時に収集された民具資料や篤志家による寄贈品(民具資料・考古資料)で構成されている。開拓使による収集品は、収集時期が判明している上、樹皮編袋やテンキ(ハマニンニクの草をクリルアイヌや北米海岸インディアンに共通して見られるコイル編みと言う技法で巻き上げて作られた容器)等の手工芸品が多く見られ、クリルアイヌの生産能力を見極めようとする開拓使の意図が見て取れる。また、収集地に関しても資料に直接貼り付けられた旧函館博物場の整理タグや、函館博物場の資料を函館商業学校に移管した際の『素博物場陳列物品商業学校江引継物品及其外物品書類』から特定することができる。これに対し、篤志家による寄贈品に関しては、多種多様な人々によって様々な時代に収集された経緯があるため、資料に付帯する情報量の差も大きく、その整理・分類は困難を極める。よってこれらに関しては、今後函館博物場および函館博物館関連の文書資料等を調査していくことから始め、暫時情報の蓄積を行っていくことが重要であろう。
 馬場コレクションに関しては、コレクションそのものに関する研究は長谷部一弘によってなされているものの、個々の資料に関する分析は未だ途上にあり、ましてそれらを利用した研究に関してはほぼ手付かずの状態である。今後、馬場脩の発掘調査時の論文や著作物と資料を照らし合わせることで個々の資料に関する情報を整理することで、初めてクリルアイヌ研究の用に供することができるようになると言えよう。直接クリルアイヌに接して描かれた民族誌とその際に得られた民具資料、また直接遺跡や住居跡を調査して書かれた報告書とその際に得られた考古資料。整理・分類された馬場コレクションはこの好条件を全て備えており、クリルアイヌ研究において世界に二つと無い重要な資料群となり得るものである。

■ケーススタディ~「バラライキ」
 市立函館博物館所蔵のクリルアイヌ関連資料の中に、フラットバック形態をした3弦の弦鳴楽器「バラライキ」(収蔵番号1218)がある。シコタン島で製作され、1886年に函館で開催された北海道物産共進会に出品された資料であり、出品後に函館博物場が収蔵したものである。これについて考古学的手法である実測図の作成・観察に加え、文献資料を用いて分析を行った。
 「バラライキ」のヘッドは平たく形成され、細長いネックにはおそらく獣の腱を撚って作ったと考えられるフレットが巻いてあり、ずれないようにネック自体に刻み目が作られている。共鳴胴は角が丸くなった三角形をしており、共鳴胴表板には砂時計のような向かい合った三角形の響孔が空けられている。素材はマツ材が用いられ、共鳴胴側板は熱を加えることで湾曲させたイチイ材の薄板が用いられている。弦と駒は欠損しているが、ヘッドの表面に対して垂直に貫通した3本の糸巻きと、3箇所に溝を切った竹製の糸受けから、3本の弦を共鳴胴側板の底部に貫通させた木釘を根緒にして張っていたと考えられる。
 胴体に貼られたタグからは、この製作者がケプリアン=ストロゾフであることが読み取れる。ケプリアンは1836年9月9日生まれでクリルアイヌの元首長であり、函館博物館の原簿では製作年が「明治十九年十月」(1886年)となっていることから、製作当時50歳であったと考えられる。ケプリアンが首長を勤めていたのは1882年までであるが、1884年のシコタン島移住以降も次首長であるヤコフ=ストロゾフとともにクリルアイヌの精神的支柱であった人物の一人であったと考えていいだろう。
 ちなみに19世紀中葉のロシアで製作・使用されていたバラライカはこの「バラライキ」とほぼ同じ形態をしており、クリルアイヌがロシア人と接する過程においてその芸能文化にも影響を受けていたということは、大変興味深い事実である。
 また、この資料が作成された時期と共進会に出品された時期が同じであることを勘案すると、共進会に出品する為に作成された資料であることが考えられる。すなわち、クリルアイヌの指導者的立場の者が、自らの独自性と生産能力を示すために作成したのがこのロシア風の楽器であったということは、いかにクリルアイヌの生活の中にロシア文化が根付いていたかを傍証するものであろう。
今後は、類似したクリルアイヌ関連資料や北海道アイヌや樺太アイヌの資料(トンコリなど)とも比較研究していくことにより、クリルアイヌの文化についてより詳細な研究が可能になっていくことだろう。

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pic.3:「バラライキ」(収蔵番号1218)

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pic.4:クリルアイヌと開拓使職員

図版説明
pic.1:鳥居龍蔵(1919)「Etudes archeologiques et ethnologiques. Les Ainou des iles Kouriles」(仏文)中の「PLANCHE7A」
pic.2:函館市北方民族資料館2階展示室における展示。クリルアイヌの舟形大皿、杓子、テンキ等が配置してある。
pic.3:実測図上に置いたバラライキ。共鳴胴裏板に和紙製のタグやシール式のタグなどが貼られている。
pic.4:共進会に製品を出品する為来函した時の写真。左端からケプリアン=ストロゾフ、小島倉太郎(ロシア語通詞)、ヤコフ=ストロゾフ、赤壁次郎(根室県役人)。北海道大学附属図書館北方資料室蔵写真資料

「会報」No.30 2007.10.1 研究会報告要旨(その2)