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極東諸民族歴史・考古・民族学研究所の国際会議に参加して

2012年4月18日 Posted in 会報

沢田和彦(埼玉大学)

 1996年6月18日から20日までウラヂヴォストークのロシア科学アカデミー極東支部極東民族歴史・考古・民族学研究所で、研究所の創立25周年と創設者クルシャーノフ氏の生誕75周年を記念する国際学術会議「世界史のコンテキストにおけるロシア極東:過去から未来へ」が開催された。この会議は、第4回目の「函館・ロシア極東交流史シンポジウム」をも兼ねるものである。当日の登録者数は160名(但し重複あり)。ロシア国内ではウラヂヴォストークの研究者が大半を占めたが、これ以外にウスリースク、ハバロフスク、ブラゴヴェシチェンスク、マガダンからも参加者があった。外国からは日本、中国、アメリカ、イギリス、オーストラリアの5カ国から25名が参加した。函館日口交流史研究会のグループは、鈴木旭、榎森進、玉井哲雄、長谷川健二の各氏と筆者の5名である。
 会議初日の午前の部は国内外の来賓の挨拶が続き、鈴木氏が我が研究会を代表してスピーチをされた。次いで2本の講演があった。午後の部は全体会議で、5本の報告が行われた。二日日は、国際関係、歴史、文化、民族・考古学の4セクションに分けて分科会方式で進められた。報告数は73本、使用言語はロシア語である。鈴木氏が「第二次大戦前の日本とロシア・ソ連邦の漁業関係」、榎森氏は「アイヌ民族の過去と現在」、筆者は「B・ピウスツキと東京音楽学校の女流音楽家との交際」というテーマで報告をした。本会議で気づいたことは、まず宗教の再評価、ロシア極東の歴史の見直しと歴史の空白地帯を埋めようとする強い意欲が感じられたこと、そしてロシア人の亡令に関わるテーマが目立ったことである。
 二日日の夜はゴーリキイ劇場で食事とコンサートを楽しむ。食事、ショー、ともに豪華な内容だった。三日目は閉会式、次いで海浜墓地にあるクルシャーノフ氏の墓に詣でた。宿泊場所は、空港から市の中心部のほぼ真ん中に位置するサナトリウム「庭園町(サード・ゴーロド)」だった。このサナトリウムはアムール湾の北東端に面し、環境の良さと海底の泥を体に塗る療法で有名である。中心部まで26キロ、毎日バスで片道小一時間は面倒に思えたが、白夜の時期の広大な園内の散策は、草木の緑が鮮やかで心を和ませてくれた。

「会報」No.1 1996.8.21 国際会議報告