函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

函館訪問の印象

2012年4月24日 Posted in 会報

シビニコフ・アンドレイ

 私の名前はシビニコフ・アンドレイと言います。ロシア共和国ウラジオストークにある極東工科大学の学生です。現在、青森公立大学で交換プログラムにより勉強しております。4ヵ月前に来日しました。
 ロシアでは日本語や日本について学んできましたが、来日して、この国や人々について何も知らないことが分りました。両国は地理的にとても近いのですが、我々は異なる精神文化に属しています。日本で生活しないで、日本人を理解することは出来ないと思います。
 私の旅行は函館市を訪ねることから始まりましたが、この旅行は日本人の友人、工藤朝彦さんからのお誘いでした。工藤さんはロシアに興味があり、工藤さんの函館訪問の目的はロシアを研究するグループの会合に出席することでした。工藤さんは、私に函館を見せたかったのです。
 早朝、私たちの列車は青森を出発しました。前日まで日本を列車で旅したこともなく、初めて日本の地方の自然を見たのであります。私は針葉樹が大好きで、樅の木・松・杉が茂る丘や山の果てしなく続く景色は圧巻でした。
 9時30分に函館駅に到着しましたが、まず驚いたことは、路面電車が走っていることでした。私が育ったウラジオストークでは路面電車はバスと同じように重要です。青森には路面電車がありませんので、ほとんど路面電車のことを忘れかけていました。
 更に、函館にはたくさんの坂があるのではないでしょうか。故郷に実に似ているのです。アメリカ人がウラジオストークにやって来た時のことですが、サンフランシスコに似ていると言っていたものです。今、世界には三つの類似した美しい都市、ウラジオストーク、サンフランシスコそして函館があることを知りました。だから、私のために工藤さんは会合が始まる前に函館に着くことを決めたのです。
 旧函館市公会堂から散策したのですが、最初、その建物はロシア人が建てたものだと思いました。何故なら、実に中世ロシアの豪邸に似ているからです。函館市には伝統的な和風家屋の他に、西洋建築物があることを知りましたが、それは外国人にとって心地がよいものです。
 工藤さんは旧ロシア領事館の建物に案内してくれましたが、美しい所に位置しており古木の陰に立つと昔住んでいたロシア人たちのことが思い浮かばれます。しばしば私は昔の日本のことを想像してみるのですが、それは夢のようなものなのですが、そして今は同じ夢にロシア人のことが浮かぶのです。とても興味深いことです。
 その後、ロシア人墓地を訪ねました。だれにとっても、母国を遠く離れた地で世を去ることは自分で選びたいものなのでしょうか。親戚や友人たちは墓を訪ねることは出来ないであろうし、墓自体が無くなることだってあるからです。しかし、あなたたち日本人の皆様はその墓地を管理してくれています。私はすべてのロシア人を代表して、感謝を申し上げたいと思います。
 さて、函館の散策を続けるうちに、だんだん印象が深まっていくのでした。坂からの景色は美しいものでした。そして天気も快晴で私たちの気分は最高でした。街路を歩きながら、お寺を見ることが出来ました。仏教のことはほとんど知りませんしそのような寺院を見たことがなかったので、精神的触れ合いを感じることは出来ませんでした。ただ言えることは、その建物は私にとって見慣れないものなのですが、素晴らしいということです。
 最後に、ロシア正教会を訪ねました。教会はウラジオストークと函館を鎖で繋げるものでした。ロシア正教会とカソリックやプロテスタント教会がなんと平和的に共存し合っているのだろう!ここには、もはや教会の優位性を主張した中世の欲望はないのです。ここ日本では、それぞれ異教を信ずる人々はそれぞれの流派に従いお祈りをするのですね。
 興奮を隠すことが出来なかった観光を終え、現代風に改装された上品なレストラン「べイ」で食事をしました。私は未だ伝統的な日本食、例えば刺し身などは苦手なのですが、そこの日本風海鮮料理と西洋風肉料理はとても美味しいものです。
 その後、函館日口交流史研究会に参加しました。私は日本語を学び始めて日が浅いため、たくさんのことは理解出来ませんでしたが、講演の概要「日本とロシア、特に極東ロシアの馬橇の起源と類似性」を把握することは出来ました。
 皆さんが、如何にロシアの歴史について詳細に研究され、我が国と日本の交流史を探求されていることに感動いたしました。両国の歴史と文化についての情報交換をロシアと日本の研究者は協力して行なっていただけたらと思います。有益で興味深い情報を自由に交換し合うのです。函館市立博物館館長の菅原繁昭氏がもしウラジオストーク市のアルセニエフ博物館と交流ができるなら有益なものとなるでしょう。
 このようなことを考えながら、北海道函館市を離れたのです。少し疲れましたが、十分満足して。当日はたくさんの重要な情報を得ることができ、それらを脳裏に記憶したのです。 私たちは、再び、海底260メートル下の海底トンネルを列車で通過しました。
 私がかつて見た最も美しい都市として、函館市はこれからいつまでも記憶に残るでしょう。そして今、再度、函館市を防間したいと確信しております。

「会報」No.12 1999.5.20  特別寄稿