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サハリン島住人と日本人漁業の関係

2012年4月24日 Posted in 会報

清水恵

 マンドリク氏はロシア極東漁業史の第一人者で、研究所を退職されてからも研究を続けられている。そして1998年には博士号取得という快挙を成し遂げられた。深い敬意を捧げずにはいられない。 
 さて、日本人のロシア領における漁業といえば、かつては「資源の掠奪」といったように否定的、対立的な側面が強調されていたようで、マンドリク氏も、そこから出発したのだろうと思う。しかしその後の研究では、日本人漁業者の参入がロシア側にとって有益な点もあった事実を示され、本報告でも日本との協力関係に重点を置かれた。
 ロシア国内では、ほとんど誰も省みるもののなかった極東の水産資源の価値をロシア人に自覚させ、産業として成長させたのは、確かに日本人であった。
 ところで、土地の住人たち、サハリン島でいえば、アイヌなどの少数民族、人口の大半を占めた流刑民や移民たちと、日本人の漁業との関係はどうだったのか、ということが最近気になっている。
 少数民族は、「資源の収奪」に加え、労働力も収奪されていた。また流刑民や移民は、ごく少数を除いて、水産資源を「富」に換えられた人はいなかったようだし、かといって一時期を除いて、雇用の場でもなかったらしい(J・ステファンによれば、1901年に、漁夫として働いた日本人が7000人以上なのに、ロシア人は、わずかに170人である)。
 彼らと日本人漁業者には、どんな接点があったのか、是非、マンドリク氏のご教示を得たいと思った。

「会報」No.14 2000.1.20  特集 函館・日ロ交流フェスティバル