カムチャツカ訪問記 ―カムチャツカ国立技術大学を訪ねて―
鈴木旭
去る3月26日から4月7日までの2週間、NPO『カムチャツカ研究会』の要請を受け、カムチャツカ国立技術大学の特別講義を行うため、ペトロパブロフスク・カムチャツキー市を訪問した。
3月23日新潟空港を出発してハバロフスクに一泊、翌24日現地時間16時30分(日本時間13:30)に、ペテロパブロフスク市近郊のエリゾボ空港に到着した。飛行中、雲の合間から覗かれるオホーツク海は、一面流氷が張りつめ、カムチャツカの山々も真っ白な雪に覆われていた。3月末とはいえ、現地は未だ寒さが厳しいものと予想された。然し空港に降り立つと、天候は曇りながら、気温はプラス5度前後と意外外に暖かく、路面の氷も溶けて春の訪れを感じさせた。
今回訪ねたカムチャツカ国立技術大学は、1987年に創設されたペトロパブロフスク・カムチャツカ高等技術海事学校が前身で、その後カムチャツカ国立漁業船団アカデミー(マリン・アカデミー)に変わった。それまでの学校は、主に海員養成(トロール漁業船団の)を目的にしていたようであり、1999年に現在のカムチャツカ国立技術大学に名称を変え、航海学部のほか技術学部と経済学部を併設する総合大学に拡充されている。
講義では、カムチャツカの水産物に関係する日本国内の流通(魚市場)の仕組み、日本人の魚の食習慣等、日本の水産物消費の特徴や日本漁業の現状を紹介した。受講者(学生と教員)の日本の水産業に対する関心は大きく、色々な質問が出されたが、中には、ロシアのカニの密輸に日本側も関わっているのではないか、北方四島の帰属、さらには日本の政治状況(森内閣の支持率の低さ、短期間に内閣が変わること)について、予想しなかった見解を問われ、戸惑いを感ずる場面も多々あったが、学生のまじめな聴講態度と、日本に対する関心が広い範囲に及んでいるのが印象的であった。
また質問(教員)の中には、日本における「企業に対する国家発注」、「大学卒業者の就職の決め方について」、「企業経営に対する国家の助成(資金、資材の調達、生産物の販売、価格形成等)の有無」といった、かつての社会主義時代の国家統制、計画経済を思わせる質問や発言があり、市場経済についての認識が十分根を下ろしていないことがうかがわれた。
滞在中、カムチャツカ教育大学の広瀬健夫先生(1997年信州大学定年退職後赴任)の要請を受け、州立図書館の日本文化センターで《日本漁業の歴史》というテーマで4回、戦後の日本漁業の展開過程や、戦前・戦後の日ソ・日ロの漁業関係について話をした。出席者の発言に、日本漁船の流網によるサケマスの漁獲に対する批判、北方四島はロシア固有の領土で日本への返還は反対といった率直な意見も出されていた。ただ日本漁船の流網によるサケマスの漁獲は政府間の合意の下で行われていること、四島の帰属問題が、ヤルタ会談に始まるソ連の対日戦争参加の経過、日本軍降伏以後のソ連軍の北千島進攻といった歴史的事実関係の認識で、双方に大きな食い違いがあることに驚かされた。ソ連軍の千島への進攻が、ヨーロッパにおけるヒットラーの侵略に対する祖国防衛戦争と同じ、祖国領土の回復のための戦争と受け止められているように思われた。このような歴史的事実についての認識の食い違いが、日ロ両国間の信頼関係の構築や国交正常化を阻んでいるのではないだろうか。
両国の関係改善には、まず両国関係の歴史的事実について、特に次世代を担う若者と一般市民の中に、共通の認識を深めていく努力が必要なことを痛感した。
「会報」No.17 2001.6.18