札幌総領事から寄贈された二葉の写真
倉田有佳
二カ月ほど前、ファブリーチニコフ在札幌ロシア連邦総領事から本研究会に対して、ロシアのアルヒーフ(文書館)に所蔵されている函館関連の写真4枚が提供されました。このうち、旧ロシア領事館に関連する写真2枚を以下ご紹介します。
【写真1】写真右下のキャプション:函館の副領事館建物 190■年(最後の数字は不鮮明だが、「3」か?)。
この写真は、清水恵、A.トリョフスビャツキ論文で紹介されている写真「明治40年焼失前の東側概観」と同じと思われる。同論文によると、ロシア領事館の建設工事が着工されたのは1903年6月のことで、同年12月初頭には屋根までの工事が行われた。すべての工事は、1904年5月に完了する予定の中、ゲデンシュトロム副領事は、1903年12月21日、短期休暇のため函館を発った。翌年3月には函館に戻る予定だったが、1904年2月に日露戦争が勃発したため、函館に戻れなくなった(清水恵 A.トリョフスビャツキ「<史料紹介>日露戦争及び明治40年大火とロシア帝国領事館 -在ロシア史料より-」『地域史研究はこだて』第25号、68(20)、83(5)頁)。
これらのことから、【写真1】は、本国へ一時帰国する直前(1903年12月)に撮影されたものではないかと筆者は推測する。
戦後(1906年5月14日)函館に戻って来たのは、トラウトショールド(ウィルヘルム・ウィルヘリモヴィチ)副領事で、6月から工事は再開され、12月末に竣工した。ところが、完成から1年も経たないうちに明治40年の函館大火で領事館は焼失した。
現存する「旧ロシア領事館」は、同じ場所(現船見町17-3)に再建された(1908年12月完成)。
【写真2】
領事館内部(本館食堂)の写真。
【写真2】の椅子と下記写真の椅子は同形のものと思われる。そのため、ソ連領事館時代(1925年10月~1944年9月30日閉鎖)に撮影された写真の可能性が高い。(ロシア帝国時代の写真と訂正します【※】)
【参考】
チホノフ領事離任とスタート新領事の着任披露宴(『函館日日新聞』1932年11月26日。函館市中央図書館所蔵)
このたび、キャプション付きの写真をご提供いただいたことで、写真1の撮影年代を特定することができました。また、写真2は、領事の日常生活の中での食堂の様子を知る貴重な資料です。紙へのコピーではなく、写真(画像)でいただけたことに改めて感謝申し上げます。
※参考写真は、本研究会ホームページ
http://hakodate-russia.com/main/letter/33-03.html(倉田有佳「函館の「旧ロシア領事館」案内」『会報』No33)からご覧いただくことができます。
また、函館のロシア(ソ連)領事および領事館の歴史的変遷については、以下で触れています(倉田有佳「20世紀の在函館ロシア(ソ連)領事館」長塚英雄責任編集『ドラマチック・ロシアin Japan II』生活ジャーナル、2012年、290-309頁)。
「会報」No.37 2016.7.31 史料紹介
【※】訂正。本稿脱稿後、在札幌ロシア連邦総領事館ファブリチーニコフ総領事(当時)が来函された折りに、【写真2】について倉田が直接総領事に確認したところ、【写真2】もソ連領事館に代わる前、つまりロシア帝国時代の写真であることが判明しました。ここに訂正させていただきます。(倉田)