函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

ウラジオストク研修の旅 2003年1月5~9日

2012年4月24日 Posted in 会報

岸甫一・岸伸子

 このたび、函館日口交流史研究会、極東大学函館校、在ウラジオストク日本国総領事館などのお力添えにより、初のウラジオストクへの旅を無事に終えたことに感謝いたします。
 研修目的は、甫一にとって日日交流史研究の糸口発掘にありました。ロシア語を学び始めたとはいえ、おぼつかないと知りつつ、まずは行ってみようと、夫婦で出かけました。
 極東大学付属東洋大学では、ロシア正教クリスマスイヴというのに試験中......生徒たちが学内にあふれていました。繁忙期にもかかわらず、シュヌイルコ先生・モルグン先生・アフォーニン先生からアドバイスをいただくことができました。
 北海道・旭川でも教えたことがあるというシュヌルコ先生は、東洋大学が語学を重視し、日本、中国、韓国(朝鮮)の3部門からなり、沿海地方・サハリン・千島そしてアジア諸国から学生が来ていると説明されました。
 アフォーニン先生には、19世紀の日本・ウラジオストク関係の古文書の所在を文書館に確認していただくことになり、1日おいてアフォーニン先生の研究室(ロシア科学アカデミー歴史研究所)を訪問すると、空き時間を縫って閲覧紹介状をしたためてくださいました。只ただ感謝です。急遽、門限間近なロシア国立極東歴史文書館へ着くと、準備されていた目録と付箋の付いた文書ファイル4~5冊を文書課長(50歳代?の女性)が持ってきて親切に説明してくれました。ディーマさんの必死の通訳により、概略を知ることが出来ました。
 また、モルグン先生は18世紀の史料はここにはないが、「もっとやってほしいことがある」と積極的に提案されました。たとえば、「ウラジオストクと日本の関係はまだ研究が進んでいない」「日本時代のサハリンのことは、まだまだ分かっていない」と逆に研究を勧められました。1999年函館・日口交流フェスティバル報告書に掲載のモルグン報告に「北のからゆきさん」が触れられていたので質問すると(伸子)、「日本からの研究はない」とのこと。1937年までのウラジオストクの日本人の生活がよく分かるものに、戸泉米子『リラの花と戦争』(改訂版、2000年刊、福井新聞社)を紹介してくださいました。
 さらにサハリンからの引揚げ日本人について、関心をよせているモルグン先生と、その体験者から名寄で聞き取りをしたことがある伸子とは話しがおのずと進み、改めて樺太からの引揚げは日口交流史の課題であったことに気づかされました。
 アルセーニエフ名称沿海地方国立博物館はお洒落なヨーロッパ風の建造物の建並ぶスヴェトランスカヤ通りの一角にありました。博物館のガイドさんとオーリャさんの通訳で、2時間かけて見学。伸子の目をひいたのは、第二次世界大戦の展示室の2枚のポスターでした。銃剣をバックに「母なる祖国が呼んでいる」と女性が左手を挙げて兵士募集を訴えたもの、もう1枚は、血痕がついたハーケンクロイツのマーク入りの銃剣におびえる子を母親が「助けて」としっかり抱きしめているもの。日本は、戦争に向わせた象徴が女性ではなかったこと、再び銃剣を向ける側になってはいけないことをロシアの展示が教えてくれました。
 翌日、博物館で親しく迎えてくださったのはアレクシュク館長とルスナク学術評議会書記ら3名の女性でした。帰りがけに「仕事と家庭の両立は難しいですね」と問いかけると「まったくです。子どもは少ししかもてません」と、女性同士納得するものが通いあう一コマもありました。
 極東大学函館校卒業生の吉崎花野子さんを極東大学の学生寮に訪ねました。運動機能の障害をもちながらも、ロシア語とウラジオストクに魅せられ頑張っている花野子さん。彼女がクリスマスプレゼントにいただいたチョコレートをごちそうになり、ピロシキをほおばりながら、よもやま話に花が咲きました。
 ゴーリキー・ドラマ劇場では「クリスマスの夢」を観劇。"ウソから出たマコト"に託すという喜劇で、地元の名優たちが劇中何度も発っした「スノービン ゴーダム スャスチャ」(新年を祝う言葉)をすっかり覚えました。同行のオーリャさんらのおかげで市民に混じって楽しむことができました。イルミネーションも色とりどりの中央広場では夜9時をすぎても、小さい子たちが化粧姿のトナカイにのったり、滑り台を楽しんでいました。極東の国際都市ならではの干支・ヒツジをあしらったデコレーションケーキが売られているのには驚きです。
 ウラジオストクは、ここ数年で目抜き通りの外観を一新したようで、変化のただ中にありました。それにしても訪問した先々で、女性たちが責任ある職務を果たしており、今回の研修は、案外、伸子の方が刺激を受けたのかもしれません。

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極東大学付属東洋大学前で

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ウラジオストクのアルパート通りで(歩行者天国になっている)

「会報」No.22 2003.3.10 2002年度第3回研究会報告 (その2)