函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

函館・松前ツアー体験記

2015年2月16日 Posted in 会報

稲垣滋子

 8月29日(木)から3日間、函館と松前に行ってきました。「ゴロヴニン事件解決200年記念 函館ツアー」という、「函館日ロ交流史研究会」と「石巻若宮丸漂流民の会」の共同事業です。
 日程は、1日目が函館市内観光、2日目が松前のゴロヴニン幽囚の地見学、3日目が函館市中央図書館での資料閲覧と大島幹雄事務局長の講演という盛り沢山な内容でした。
 「函館日ロ交流史研究会」側の参加者は、長谷部一弘会長をはじめ7名、「石巻若宮丸漂流民の会」側は、木村成忠会長(仙台)、大島幹雄事務局長(横浜)、会員の佐藤三寿夫さん(横浜)、河元由美子さん(東京)と稲垣(東京)の5名でした。
 この若宮丸組5人は、ついたり離れたり、すべての時間を一緒に動いたわけではないのですが、重要な場では必ず行動を共にしました。

ロシア関係ポイント見学
 初日の函館観光は、倉田有佳さんの案内に私一人が参加という贅沢な時間となりました。
 8月29日(木)の午後、極東連邦大学函館校に、准教授の倉田さんを訪ねました。倉田さんは日ロ関係の専門の研究・教育と同時に、「函館日ロ交流史研究会」の会員として日露関係や函館のロシア関係の施設について取材・広報活動をしています。そして「石巻若宮丸漂流民の会」の会員でもあります。
 函館校の広いラウンジは、ロシア語で書かれた本ばかり、ロシア語の掲示ばかりです。履修科目を見ると、ロシア語はもちろん、通訳・翻訳、ロシア史、ロシア民族学、ロシア地理、ロシア国家政治体制、ロシア経済、日ロ関係史等多彩です。ネイティヴスピーカーによる授業が特色だそうです。本校から来る学生への日本語教育もあります。
 倉田さんが案内してくださったのは、船見町の函館の町が最初に開けた地域、幸坂を上って行ったところにある旧ロシア領事館、少しだけ離れたところにあるロシア人墓地でした。
 旧ロシア領事館は、壁の剥落があるため門から中へは入れません。倉田さんはご自身が建物内部まで取材・執筆した記事(『函館日ロ交流史研究会会報』33号)を示しながら説明してくださいました。最初のロシア領事館は実行寺の中にあり、当時の実行寺は現在の弥生小学校の場所にあったそうです。
 ロシア人墓地は、倉田さんが門の鍵を借りておいてくださったので、草地に点在する約50基のお墓を間近に見ることができました。墓石はかまぼこ型の石を縦に寝かせたような形で、墓碑銘、氏名、死去の年月日、年齢が刻まれています。半数以上はロシアの軍艦の乗組員だそうです。そのほか初代ロシア領事ゴシケーヴィチ夫人のお墓、幕末から明治初年に亡くなった人たちのお墓、1917年のロシア革命後に来函した人たちのお墓、日本人正教徒8人のお墓など、往時を偲びながらの見学でした。

松前の史跡散策
 8月30日(金)は、雨模様の一日でした。大島・佐藤・河元・稲垣の若宮丸組は特急白鳥とバスを乗り継いで松前入りしました。午前中は坂道を上ったり下りたりしながら、松前城の天守閣、松前家墓所、松前藩屋敷を見て歩きました。藩屋敷では、さまざまな建物を見たほか、アイヌの衣装や道具類を見学しました。
 散策中に、「五郎次のお墓はこの奥40メートルのところにあります。」という立札を見ました。中川五郎次は文化年間にロシアから種痘の書物を持ち帰った人物です。私たちは傾斜地に作られた墓地に入り、一つ一つの墓石を確かめて歩いてもわからず、佐藤さんが通りがかりの男性に呼びかけ、その方も探してくださったのですが、結局探し出すことはできませんでした。藩屋敷でボランティアをしている男性に尋ねたところ、本当にここが五郎次の墓地かどうかはっきりしないので、あまり熱心に宣伝していないのです、というお答えでした。
 午前中の見学を終わったところで、「石巻若宮丸漂流民の会」会長の木村成忠さんと合流して昼食を取りました。木村さんは、今朝は函館湾のクルーズに参加して、今作っている若宮丸漂流民の辿った足跡を記録したDVDの、仕上げの撮影を試みたそうです。しかし雨で、良い写真が撮れたかどうか心配だと言っていました。

長靴の隊列 ―松前のゴロウニン幽囚の地へ
 午後はいよいよ、今回のツアーの主目的である、ゴロヴニン幽囚の地見学です。目的地は、城から少し離れた山中のバッコ沢という沢を溯ったところで、ゴロヴニンたちが脱走して再び捕えられた後に収容された牢屋の跡地です。
 松前町郷土資料館前で、函館組の皆さんと、松前町教育委員会の前田氏、佐藤氏、それに町の女性職員の方たちと顔合わせをし、挨拶を交わしました。
 全員が資料館に備え付けてあった長靴を借りて履き替えました。総勢30人ほどです。いよいよ山道にかかるところで、隊長さん(前田氏)が、「一列になってください。この順番はいつも守ってください」と命令しました。長靴もこの命令も、何と大げさな、と思ったのですが、沢に足を踏み入れてみてすぐにその意味がわかりました。沢沿いの泥んこ道に、膝まである長靴もたちまち汚れてしまいました。急な斜面の上り下りや、沢に下る板切れの上を歩くとき、流れの中の飛び石を伝うときなどは、現地の方々に手を取ってもらいました。めいめいが勝手に動いたら、ほとんど前に進めなかったと思います。
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バッコ沢の入口で記念撮影

 20分ほど上って、ようやくゴロヴニンたちが幽閉された建物があった小さな平地に着きました。ここは松前の方たちが下草刈りをしておいてくださったそうです。片側は山崩れのあともある崖、片側は沢で、樹木に覆われた薄暗い場所です。建物はすでになく、礎石が一つ残っています。この礎石も、平成22年に教育委員会の調査で確認されたものだそうです。続いて、もう一段上の小さな平地に移動しました。ここにも幽閉されていた建物があったということです。少し奥には火薬庫もあったそうです。
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ゴロヴニン幽閉の地で説明を受ける参加者

 ゴロヴニンたちが脱走したという山の方を見上げてみましたが、道もないところへどうして踏み出したのか、想像できませんでした。
 見学を終えた後、郷土資料館に戻り、出土品や資料館所蔵の品々を見ました。食器などの発掘された品は、ゴロヴニンの時代よりも新しいということです。
 強烈な印象を胸に、車で帰る函館組の方たちと一旦別れ、私たち若宮丸組はバス、特急白鳥と乗り継いで、函館駅に戻りました。乗り換えた木古内駅には、北海道新幹線開通予告の看板が立っていました。
 そして夜。両方の組がまた集合し、市内の「魚一心」という店で懇親会となりました。「函館日ロ交流史研究会」の方たちの活躍は目覚ましく、それぞれの方のお話をうかがうにつれ、新しい視野が開けていくように感じました。美味しいお料理とお酒と交歓とで、楽しいひとときでした。若宮丸組はご招待いただいたことになり、恐縮しつつも感謝しています。

函館市中央図書館の貴重書閲覧
 8月31日(土)は、一日中雨でした。朝9時半の開館を待って、佐藤さん、河元さん、私の3人は、函館市中央図書館に入館し、奥野進さんに会いました。別室の閲覧室には、あらかじめ奥野さんを通じて閲覧予約をしてあった5種類の写本類が用意されていました。文化元年(1804)のレザノフ来航に関する書など若宮丸関係の資料や、イワン・マホフが文久元年(1861)に作った日本で最初のロシア語入門書『ろしやのいろは』など、貴重資料を見ることができました。ただ時間が短かったのが残念です。
 『市立函館図書館蔵 郷土資料分類目録』を見ると、ロシア関係の資料だけでも何年かかっても見切れないほどあります。今回は短時間しかいられませんでしたが、これから何度も通いたいと思っています。

講演会
 午後2時から、函館市中央図書館のホールで、今回のツアーの最後を飾る講演会がありました。講演者は大島幹雄事務局長、題目は「魯西亜から来た日本人――善六物語」です。副題には「ディアナ号艦長ゴロヴニン、幽囚の軌跡」とあります。
 司会者は倉田有佳さん。この講演会に集まったのは71人だそうです。倉田さんによると、この数字は、テーマや当日のお天気を考えるとかなり多いということです。
 講演は、氏が以前書かれた『魯西亜から来た日本人――善六物語』をベースに、ゴロヴニン解放の交渉に立ち会った、石巻若宮丸漂流民善六の足跡を追ったものでした。それとなく会場の皆さんの反応を眺めてみると、漂流から帰還までの若宮丸乗組員の物語によって、自らも実体験しているような感覚を持ったらしいこと、善六という突出した人物の働きには驚嘆している様子が伝わってきました。
 興味深かったのは、講演とその後の質問との対比です。講演はロマンに満ちた世界を描き出したのに対して、質問は外交上の問題点を指摘するものがあったりしました。これらが総体として相補って、若宮丸漂流民、レザノフ、ゴロヴニン、江戸幕府などがつながりを持って描かれたように思います。

 かくして、得難い3日間の体験を終え、雨足の強くなった函館から帰途につきました。
 私はこのツアーの前に、『ゴロヴニン幽囚記』(岩波文庫)を読んでみました。その上で現地を踏んだことで、一層感慨が深くなったように思います。そして、今回いただいてきた諸資料、『はこだて外国人居留地 ロシア編』、極東連邦大学函館校の案内、新聞記事、ゴロヴニン関係の年表、そのほか論文コピーなどを眺めていると、改めて中身の濃い数日を過ごしてきたのだと実感します。
 このツアーの企画を立て、実行してくださった方々、私たち若宮丸組を暖かく迎えていろいろな資料とお話を提供してくださった「函館日ロ交流史研究会」の方々、松前町の皆様に感謝申し上げます。

「会報」No.35 2013.12.7 松前研修会報告