函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

外国人墓地清掃

2020年9月 6日 Posted in 会報

中嶋 肇

 平成30年(2018年)9月25日から29日まで、ロシア極東連邦総合大学函館校で、ロシア領事館が函館に開設されて160周年、在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所開設15周年を記念した「日ロ交流写真展」(在札幌ロシア連邦総領事館が主催)が開かれた。
 その時、倉田世話人代表より、私が西部地区、弁天生まれで、船見中学校教員をしていた事から「外国人墓地、ロシア領事館などに関する事何か知っていませんか」という話があった。
 幸い元船見中(後西中、今は潮見中と併合し青柳中となっている)に勤務していた時、外国人墓地清掃担当であり、年に1度2年生が清掃作業を行った。
 当時、昭和30年代は、外国人墓地は誰も関心を持つ人は無く荒れるに任せ、周囲の柵も今のように鉄柵でなく板切れであり、腐っていたので、近所の子供らはそれを乗り越えて中へ入り、墓石をベースにして野球をやっていたようである。
 それを当時の石本義一校長が、多少郷土史に関心があり、また生徒の社会活動の一環として墓地の清掃を思いついたらしかった。
 昭和35(1960)年、当時の駐日ソ連大使フェドレンコ氏が学校訪問をして、大使は墓地清掃のお礼を述べ、色紙に「飲水思源」と書いてくれた。「人は水を飲むとき、その源を知るべきである」という意味である。同時にロシアの記念切手アルバムも寄贈してくれた。大使は漢詩を研究し、日本語も達者であった。その時の写真が残っている。

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フェドレンコ大使から贈られた色紙と切手アルバム

 その翌年(昭和36年)今度はアメリカ大使ライシャワー氏が夫人とともに来函し、やはり外国人墓地を表敬訪問した。私は、昭和36年に赴任したので、ソ連大使とは会えなかったが、ライシャワー大使とは外国人墓地で握手をした。大使は「君たちは英語を勉強しているから、英語で話します。」、と言って挨拶をされた。
 その後、アメリカの軍艦が入港すると、軍楽隊を先頭に行列行進をして、参拝をすることもたびたびあった。ソヴィエトの軍艦はもちろん入港することは無かった。
 昭和40(1965)年、函館の写真家の故金丸大作氏が清掃状況を撮影し、棒二森屋で写真展を開いた。そのときの写真がこれである。

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清掃状況を写した写真(故金丸大作氏撮影)

 今回の展示会を見て、外国人の墓に水をかけているのは、いかにも日本人らしいとの声があった。ロシア極東大函館校のイリイン校長は、この写真が1番の傑作で日ロ交流の証であるとほめていた。実際は、生徒らは、授業がつぶれるので喜んで参加したが、途中飽きて墓に腰をかけて話をしたり、草をむしり取っては投げ合って遊んでいる者もいた。 
 昭和40年頃まで引き続き行っていたが、その後函館市も観光事業の一つとして外国人墓地整備に乗り出し雑草を刈り鉄柵を張り巡らし、現在に至っている。

「会報」No.40 2019.6.23 会員報告