函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

「ビザなし交流」に参加して

2012年4月24日 Posted in 会報

永野弥三雄

 11月14日の交流史研究会では「戦前のエトロフ漁業と現在のエトロフ島の印象」というテーマで報告しましたが、前半の内容は近く刊行される極東大学の『報告集』に掲載予定ですから省略します。また、後半については、時間の都合で、通訳を引き受けられた荒井信雄氏の質問に答える程度で終わりましたので、若干の補足をしたいと思います。
 私は今年(199)の5月22、23日の両日、第8回のビザなし交流に参加してエトロフ島を見聞しました。22日に上陸後、紗那[シャナ]のクリル地区行政府を表敬訪問した時のポドリアン地区長(38歳)の挨拶が印象深くのこっています。若い地区長は「ビザなし交流は8歳。交流の間に新世代が生まれました。それがこの児です。この世代は私たちが持っているコンプレックスや複雑な感情がないのです」と、3歳の娘の手をとりながら私たちに紹介しました。領土問題に対する配慮を示しつつ、解決の方向を暗示したものでしょうか。
 交流団はこの後、芸術学校の展覧会、紗那日本人墓地、ベラビナ湾とルイバキ海岸を見てから、初等中学校で純真そのものの子供たちの大歓迎を受け、一緒にバレーボールの試合もやりました。そしてこの晩は、クンチェンコ・ガリヤさん(新聞社編集、45歳)さん宅でのホームステイでした。夕食の席上、家族の紹介があり、長女のクセーニヤ(18歳)さんは、ハバロフスク大学で社会保障を勉強中とうかがったので、「娘さんは向こうで就職して帰ってこないでしょう」と、質問しますと、母親のクンチェンコさんは「とんでもない。娘も私もエトロフ島が故郷ですから帰ってきます」とのきっぱりした答えに、戦後50数年経過した意味を改めて感じました。
 エトロフ島の経済状態は色々問題はあるものの、南クリル地区の国後や色丹より良好に保たれており、また交流団に参加した風景画家たちからは「まったく無垢な自然。日本にはない風景」との感嘆の声が出ていました。
 ビザなし訪問によるロシア島民との友好親善の強まりは、領土問題は別として望ましいことだというのが私の印象です。

「会報」No.14  2000.1.20 特集 函館・日ロ交流フェスティバル 研究会報告概要1