函館とロシアの交流の歴史について研究している、函館日ロ交流史研究会のページです。 このページは、会報をはじめ、これまでの刊行物や活動成果を公開しています。

渡り鳥の日ロ交流

2012年4月22日 Posted in 会報

佐藤理夫

極東鳥類研究会について
 1982年、日本の鳥類研究者とロシア極東の研究者との交流を目的として、極東鳥類研究会が発足した。この研究会は研究者の交流を主目的とし当初は、研究者の自己紹介を主体としたニュースレターの発行と、極東や日本で発表された論文を翻訳し、会員に配布する形態をとっている。現在は、後者が主である。
 ここでは、極東鳥類研究会で配布された論文を参考にしながら、日ロの研究交流について話をすすめる。

鳥類研究を通した交流
 研究会で発行した論文は、いままでにカムチャツカ半島、アムール川流域、ウスリー地方、サハリン、西千島でのものが出版されている。極東地域での鳥類研究の歴史は、カムチャツカ半島で古く200年ほど前に始まる。比較的新しいのはサハリンとウスリー地方で、サハリンが150年ほど前に、ウスリー地方では100年ほど前に始められている。このうち、日本と関係が深いのはサハリンである。
 サハリンでの研究の歴史は3期に分けることができる。第1期は、鳥学の草創期で19世紀中頃から20世紀の30年代までで、目録作製鳥相の構成を明らかにするのが、中心であった。このとき、鳥相を調べたのはSchrenck(1859-1860)とNikol'sky (1889)であった。日本人の鳥学者がサハリンで鳥学の発展に寄与することになるのは、日露戦争後の1905年に南サハリンが日本領となってからである。
 20世紀前半鳥類研究に貢献したのはスウェーデンの鳥学者であり、日本の鳥学者たち(飯島魁、山階芳麿、籾山[もみやま]徳太郎など)や採集家(折居彪[あや]二郎な ど)であった。ただし、日本人の調査は南サハリンでの調査が中心であった。
  1930年代から生態を主体とした研究が行われて、この時期の研究に基づき、山階芳麿、清棲幸保、黒田長礼らが、現在大図鑑と称される鳥類図鑑を発表している。
 第2期は1940年代から1960年代である。この当時は鳥相研究、分布や生態研究が主流で、調査の中心はソ連科学アカデミーサハリン支部の研究者であった。
 第3期は、1970年始めから詳しい組織的な生態・鳥相調査が行われるようになった。さらに、1973年日ソ(現日ロ)、1976年米ソ(現米ロ)の渡り鳥等保護条約、また、湿原保護に関するラムサール条約(1972年)との関連で、現在に続く重要な課題である(現在ではその課題の重要性はさらに増大している)。

付表 サハリンと周辺地域の生息数と鳥相類似性

地域
生息種数
繁殖種数
共通種数
サハリンとの
鳥相類似性
北サハリンとの
鳥相類似性
南サハリンとの
鳥相類似性
サハリン
355
189
北サハリン
150
143
南サハリン
140
北海道
341
160
130
74.4
84.6
本州
96
50.0
ウスリー地方
440
266
158
69.4
アムール川流域
275
207
149
75.2
81.8
カムチャツカ半島
230
180
104
59.5
南千島
248
※鳥相類似性は(2a/(A+B))×100%で計算する。Aはある地域の種数、Bはもう一方の地域の種数、aは共通種の数(この場合は繁殖する種)
「サハリンの鳥類」(ネチャエフ 1991)より作成

渡り鳥の交流
 鳥類自身の交流としては、主に渡り鳥があげられる。特に、それらは日本とシベリア・極東地方をそれぞれ越冬地と繁殖地として行き来している鳥類であり、日本を通り越して南アジアや東南アジアを越冬地とする鳥類である。その多くを占めるのはスズメの大きさを平均として、大きくてもムクドリくらいの小鳥類である。
 ところで、渡り鳥といっても、例えば、ある地域において春に南方から繁殖のために渡ってくる鳥のことを夏鳥、冬に北方から越冬のために渡ってくるのを冬鳥、繁殖地や越冬地に渡る時だけ立ち寄る渡り鳥を旅鳥、また、本来の渡りのコースではないため、普段は見ることができない種類が、何らかの原因で姿を見せる鳥のことを迷鳥という。ちなみに一年中同じ地域で生息している鳥のことを留鳥というが、最近は、これらの鳥も、全部ではないにしても、個体や個体群レベルで渡りをしているのではないかと考えられている。どちらにしても、これらの渡り鳥たちが、日ロ交流の架け橋となっているのである。
 現在、日ロで研究交流の対象になっている鳥類は、ナベヅルやマナヅルなどのツル類、コハクチョウやオオハクチョウのハクチョウ類、マガンやヒシクイなどのガン類、そしてオオワシとオジロワシの海ワシ類があげられる。このうち、北海道に関連深いのは、海ワシ類、ハクチョウ類、ガン類である。
 海ワシ類のうちオオワシはソ連の固有種で、限られた分布域、低い繁殖成功率、特殊な食性、厳しい北部の越冬条件のため、ソ連のレッドデータブックにあげられており、多くの自然・人為要因の影響を強く受ている。
 クロノツキー自然保護区の研究員であるE.G.Lobkovが1970年から主要な分布域であるカムチャツカでオオワシを研究し始めた。日本においても、1980年から道東を中心に集まったオオワシ・オジロワシ合同調査グループが、日本に越冬する海ワシ類の生息調査を始めた。そして、1984年に日ソ共同のオオワシ一斉調査を実現するために、旧ソ連側の代表者と日本側の代表者がハバロフスクで話し合い、1985年から日ソ共同で調査を開始した。これを出発点に、極東地方で繁殖し、北海道で越冬するオオワシ・オジロワシの周年の生態が徐々に明らかになってきた。特に1996年に行われた、八雲町での発信器装着による追跡調査は、海ワシ類が、根室地方からサハリンを北上してカムチャツカ半島で繁殖し、さらにその個体は、北上時と同じコースを通らず、半島をそのまま南下し、千島を経由して北海道に入り八雲に戻ってくることが分かった。

おわりに
 今までの共同調査は、大型の鳥類が主体である。しかし、すでに述べたとおり、「多くの渡り鳥は小鳥類である」こと、また、昨今の鳥類の減少が危惧されていることから、日ロを行き来する渡り鳥の全体像を詳細に把握するため、早急に小鳥類の渡りについての共同調査を本腰を入れて行うことを切に望む。

「会報」No.8 1998.6.22